Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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自然と少年――宏々とした大いなる心を育…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  灰色の東京から、とんぼの姿が消えて、歳久しい。
 私は近ごろ、静岡県富士宮市に幾日か宿泊した。静かな田園を眺めていると、その足下には、女郎花が咲いていた。さらに遠くには、尾花に守られながら可憐な撫子が顔を見せている。その前をスイスイと、とんぼが飛んでいくのを目の覚める思いで発見した。
 一瞬、あの懐かしい少年のころの思い出がよみがえってくる。爽やかな風に吹かれ、青葉の梢に水が流れ、朝露を踏んで田圃道を快活にとんぼを追跡した日々。また、塩辛とんぼや、麦藁とんぼには目もくれず、彼方には入道雲が湧き、炎暑の太陽の下、むせかえるような土道を、王者のごとく飛翔する鬼やんまを見つけ、胸躍らせながら、網を隠して、じっと待ち伏せた少年時代。一閃した網の中で、大きな羽音をたてている鬼やんまを噛みつかれないように押さえつけたときの満ちわたる歓び。買いたてのトリモチを唾でなめ、竿の先まで伸ばして息をはずませながら、敏捷な燈心とんぼを、限りなく追いかけていった思い出。
 近ごろの少年たちは、こうした自然との遊びが少なすぎる。だから、昆虫の種類や植物の名前も、憶えにくいのであろうし、自然を実感し、自然に親しみを感ずることが乏しくなり、人間疎外ばかりでなく、自然からも疎外されかねないと心配するのは私一人ではあるまい。
 絶滅寸前になって、あわてて鴇や丹頂、真雁などを天然記念物に指定したりする有り様では、文化水準が疑われてならないのだ。自然に対する無定見は、みずからを亡ぼす因であり、そこにも人間が、自然を支配するという不遜な考えが、傲慢な顔をのぞかせているといってよい。
 人間が、自然から受けている恩恵を思うならば、人間の心にもまた、自然界の動物、植物に対して、もっと生命尊重の思いをもたなければならないだろう。
 年々、農村でも農薬などで、田や畑に住む昆虫や小動物が少なくなっている。蛙の合唱も、珍しくなってしまったとはまことに淋しい。
 ともあれ、少年の宏々とした大いなる心を育てるには、自然は絶対に必要だ。とんぼたちは、少年の親友であり、自然は、少年の母であるといってよい。大人たちのために破壊されていく自然は、今、悲しみ怒っている。少年は、未来からの使者であるというならば、少年たちのとんぼを追う姿がないことは、まことの平和の未来とはいえないかもしれない。

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