Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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冷える地球――国家間の争いをやめ、人類…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  私は六月の北海道を訪れたのは初めてである。やわらかな陽光を浴びて、ライラックが淡い色調をただよわせて、可憐に咲いていた。抜けるような明るさを満喫して、東京に帰ってみると、北海道にはない、梅雨の湿気が私を待っていた。
 今年の梅雨は、六月初頭に早くも日本列島を厚くおおったが、予報によると、梅雨が明けても、今年は、灼熱の酷暑は短いだろうということだ。夏が短く過ごせるとすれば、まことに結構なことだが、それだけではすみそうもないショッキングな話を、ある学者が聞かせてくれた。
 「地球は冷えつつある」というのである。最近の統計によると、地球の平均気温は、全体として下がる傾向にあるという。
 たとえば一九四〇年代と、一九五〇年代の平均気温を比較し、下がったところを地図で塗りつぶすと、世界のほとんど全域がおおわれるというのである。
 それは、現在ではもっといちじるしいらしい。日本も、昨年は春冷異変、今年は冷害。これも地球冷却化の兆候であるかもしれないと彼は言う。
 もちろん、それで氷河期がすぐくるというものでは絶対ない。しかし、われわれの生命が、じつに微妙な均衡のうえに保たれているということは、深く認識せざるをえないのだ。地球全体の温度が、数度下がっただけでも、作物は大凶作になり、多くの生命が奪われ、氷河期を招来する発端となるかもしれない。逆に、ほんの数度上がっても、極地の氷が解け、大洪水が起こりかねないということである。
 また、地球の太陽に対する傾きが一、二度変化しても、数パーセントだけ太陽から遠くなったり、近くなったとしても、それだけで人類の滅亡の危機が訪れるという、この現実である。
 地球という巨大な生命体は、自己の軌道を正確無比に歩み、太陽エネルギーの恩恵をあますところなく享有して、生きとし生けるものの「生」をはぐくんでくれている。 その歩調を、人間みずからが壊そうとしているとすれば──これほど滑稽で、悲惨なことはない。しかし、近代産業による環境破壊は、それをもたらそうとしている。事実、油による海洋汚染、大気中の塵埃増加が、地球の寒冷化をもたらしているとの説も出ているのである。
 みずからの危機も知らず、国家と国家、民族と民族が葛藤する姿は、ピンと張りつめた細い綱の上で格闘しているようなものだ。もっと巨視的に、広い次元で、人類がどう美しく調和していくかを思索する英知こそ、今、最も望まれるものであろう。

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