Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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最北端――目に見えぬ“領海ライン”とい…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  北海道の初夏の緑はじつに鮮やかである。花が競うごとく咲き誇るという形容にも、本州とは違った実感が込められている。
 最北の都市・稚内も、今ごろはさぞ美しく彩られていることであろう。漁港らしい街にただよう魚の匂いとともに、親しい人たちのことが思い出される。
 市の西側にある稚内公園に上ると、海岸まで迫った山沿いに、細長い市内が一望できる。港には、かつて樺太航路の連絡船が発着した古いコンクリートの建物と桟橋が、往時のにぎわいをしのばせて、突き出ている。今日では、利尻、礼文への定期船の発着場になっていると同行の人が教えてくれた。
 眼下に広がる宗谷海峡、そしてその水平線のかなたには、樺太がある。最北の地を訪ねて、だれしも、改めて国境というものを考えさせられるのではなかろうか。
 四面を海で囲まれた日本人にとっては、とかく国境という概念が乏しい。大陸のなかで、陸つづきで接しているヨーロッパなどとは、まったく感覚が違っている。
 海上に引かれた目に見えない領海というラインが、ここでは厳しい現実となって浮かび上がってくる。北洋漁業の根拠地として、またコンブ、ワカメ、魚介類の採取に、毎日の生活をかけて暮らしているこの街の人々の心情を、今の為政者たちは、どれだけ感じているだろうかと、胸に迫ってくる思いを禁じえない。
 領海の意識は、人間社会の間だけではなく、すべての生物が、生存の本能としてもっているものである。天売島に飛来するオロロン鳥も、自分たちの繁殖の安息地を、他の海鳥たちとは、はっきりと区分けしている。だが、この領域の区分けも、本来、自己の生活安全圏を保持しようとする防衛的な意味であり、決して侵攻的なものではない。紛争はつねに、その領域を他が侵そうとするところから始まり、相互不信が、固く境界線をはさんで、対峙する関係を生んでいる。
 だが、考えてみれば、この境界線は自己の領域を守るだけでなく、相手の領域も尊重する共存共栄でなければならないはずである。そして、距てるための垣は取り除かれなければならない。そのために苦しむのは、いつも民衆だからである。
 稚内公園の一隅には、ひっそりと、なんの飾り気もなく、樺太で終戦時に最後まで交信をつづけながら自決した電話交換嬢の記念碑が立っている。ふと、沖縄の「ひめゆりの塔」が思い出され、日本の最南端と最北端に建つ、清純な乙女の平和への祈りを、だれもが忘れてはならないと強く思った。
 ノシャップ岬をまわると、利尻富士が見える。水平線にそそりたつ、その美しい姿は、まことに印象的である。

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