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日蓮大聖人・池田大作

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独創性――未知を拓く創造に“博士号”を…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  「尊敬に値する人物の資格は何か」と人に問うたら、「人格のある人」「指導性のある人」などとともに、「学識経験の豊富な人」という回答が、相当の比重を占めることと思う。 知識人という言葉が一般に、好ましい響きをもって迎えられているように、知識、教養をもつことが、社会にあってリーダーシップをとるうえに、不可欠なものとされている。
 私もこれは当然なことと思う。しかし、それ自体、重要ではあろうが、それとまったく同じく、いやそれ以上に、独創の尊さを、もっともっと社会が要求すべきであると、私は訴えたいのである。 詩というものは、韻をふんだり、五字や七字の語句を、正しく並べて作るものである──と考えて作っている間は、知識や経験にのっとった文学といえる。 それを、形式にとらわれず胸中の感情を、素直に表現したいと考えるとき──自由詩が生まれた。「洋楽はバレエ」という、長く古い伝統を悠然と乗り越えて、ヴェートーベンやチャイコフスキーなどを日本舞踊で乱舞したら──そこに、新しい独創的な芸術が生まれはしないだろうか。
 わが国は、遠くは中国から文化を吸収し、近くは明治維新によって、西欧から多量の知識を受け入れた。そこから「博識」を尊重する土壌ができあがった。
 言わばこれまでの日本には、博識の学問、模倣の文化が波打っていたとみてよい。これからは、さらに独創の、新しい生きた学問、文化の華を絢爛と開花させていく時代とならねばなるまい。
 知識、経験の文化はどちらかといえば完成された美しさであり、独創のそれは未完である。博識の学問は、ある意味で安易であり、独創の学問は、苦悩の連続かもしれない。しかし、それゆえにこそ、より大なる価値を生みゆくものであろう。
 博識は一部の人のものである。独創は、すべての人が分かちもつ特性なのだ。庶民のちょっとした独創性が、現実生活に潤いを与え、価値を生みだしていることはしばしば見聞するところだ。
 ともあれ、学問においても、未知の分野を拓く独創的な研究が見直され、最も尊重されゆく社会であってほしいものである。創価学会初代牧口会長、私の恩師である戸田第二代会長の『価値論』や『半日学校制度論』、『推理式指導算術』は、庶民の感情に密着した独創的な学問であり、教授法であったと、その業績がやっと認められつつあることを知って、心から喜んでいる一人である。
 独創性ということに関しても、博士号が与えられるようになれば、どれだけ偉大な庶民文化が生まれゆくことか──などと夢想してみるのである。

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