Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間の魅力――それは、その人の奥行きと…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  人の魅力というものは、いったい何によって決まるのであろうか――これには、人さまざまな意見と見方があるにちがいない。知性の輝きを魅力の第一の尺度に考える人もあるだろうし、人間的な親しみの深さ、思いやり、包容力をあげる人もあるだろう。
 あるいは、均斉のとれた美しい身体、清らかな精神を、最も大切な人間の要件と指摘するかもしれない。また、一概に、魅力を定義づけるといっても、男性と女性の場合は、おのずから、判断の基準も異なってこよう。男性の力強さと逞しさ、それに優しさ――女性の純粋さと、華麗さ等々というぐあいに。
 こんなところから、人の魅力といっても、それを的確に規定することは、案外にむずかしいものである。しかし、人は、日ごろのほとんど直観的な感覚で、魅力を口にし、また魅力を感じているようだ。たしかに、魅力そのものは、現実に存在し、多くの人々をひきつけずにはいないのである。
 では、この少し不可解で、漠たる魅力とは何なのか。ある人は、まさに、その漠たるもの、それでいて現に存在する何か――つまり、サムシングであると述べている。
 魅力ある人というのは、その何ものかを、すなわちサムシングを人に感じさせる人ということであろう。この、いささか表現しがたい魅力の定義に、私も大綱において賛成である。
 あえて、それに加えるならば、そのサムシングなるものは、決して神秘的なものではないということである。言葉を換えて言うならば、サムシングとは、その人の奥行き、広がりから、滲みでてくるものといえるのではなかろうか。
 人間の奥行きと広がり、これを別な見方からいえば、その人の世界といいうるであろう。その人の持ち合わせている世界の境界線が、どれほどの奥行きと広がりをもっているか――ここに人間の魅力の最も根本的な要因があるように思われるのである。
 奥行きと広がりをもった人間を育成するには、知識や技術だけでは不充分である。知識や技術は、人間の属性である。その知識、技術の習得と錬磨を通し、己自身を磨かなければ、決して深い自己の世界の構築はありえないであろう。
 現実の人間社会、世界の矛盾に、激しい怒りをもてばもつほど、己の世界の完全なる構築に、厳しい視線を送るものである。 ──私は、この原則に人間世界の未来を開く、唯一の鍵があると信じている。

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