Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

雑草――群生の美こそ、逞しい庶民の団結…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  春になると、野山は鮮やかな緑一色におおわれていく。新緑ほど、生きいきとした生命の輝きと躍動を感じさせるものはない。その緑一色も、よく見ると、じつに多種多様な一本一本の草から成り立っている。それらは、多く雑草と呼ばれ、あまり名も知られていない。
 この雑草は、なんの飾り気もなく、ありのままの姿で、精いっぱい生きようとしている。どんな痩せた土地でも、コンクリートの割れ目の土塊でも、車の往来の激しい路傍であっても、文句もいわずに根をおろし、強靱な生命力で、春になれば、芽をふいてくる。踏まれても、踏まれても、また芽をふいてくる。
 私は、この雑草が好きだ。その逞しさは、あたかも庶民の生活力を象徴しているかのように思えてならないからである。
 道東の釧路には、有名な湿地帯がある。見渡すかぎり一望千里の草原は、なんの作物もとれず、道東開発も、ここでは前途遼遠の感が深い。だが、ここでも、強靱な生命力を発揮しているのは、ヒラギシスゲと呼ばれるカヤツリ草の一種である。厳冬、一面の雪原から雪が解けはじめ、そこかしこに、むっくり、むっくりと頭をもたげるのが、この枯れ草のかたまりである。土地の人たちは、これを“谷地坊主”と呼んでいる。
 刈る人もなく、枯れては芽をふき、繁っては枯れていく原生のままのヒラギシスゲが、いつしか根がからみあい、枯れた茎が積み重なって、団子型の坊主頭のようになったものだ。今年も、そろそろ“谷地坊主”から青い芽がふきだしていることだろう。先日、ある新聞を読んでいたら、雑草を生け花にする工夫をしている人の話があった。
 雑草の生け方のコツは、まず朝露のあるうちに切ること。次は、生えている環境をよく注意してみること。恵まれない環境で育つ草だけに、過保護になっては、かえって枯らしてしまうということだった。道理に適った面白い示唆を含んでいると思う。たしかに、雑草の美しさは、一本一本の自然の巧緻もあるが、むしろ、その本領は、群生の美しさであろう。環境を無視したり、過保護による失敗は、人間を育てるにも共通した問題である。
 人はありのままの姿にいくのが一番強い。真実にまさるものはないからだ。指導者はエリートでなく、雑草の仲間でなければならない。そして、群生の美こそ、庶民の団結ではなかろうか。

1
1