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日蓮大聖人・池田大作

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新学期――浪人は、栄光の人生における深…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  青春の四月。未来に、希望の胸をふくらませた、多くの大学生が誕生する。私もこれら若人の前途を心から祝福したい。先日の朝刊に、東大合格者の晴れがましい姿が載っていた。鞄を天空高く持ち上げ、全身、喜びに感動しながら跳び上がっている姿。女子学生であろう、母娘が抱き合って感極まっている姿。さまざまな悲喜劇が、今年も展開されていったことであろう。
 その紙面の端のほうに、こんな記事が載っていた。
 「東大にはいったとか、はいれなかったとかいうことが、人生にとって、どれほどの意味があるのか、私にはわかりませんね。私の周囲にも息子を東大にぜひ入れなければ、と思いつめているような人たちがいるけれど、そういう人にこういってあげるのです。
 路線にのった平穏無事な人生なんておよそつまらないものだって。東大、東大って騒ぎまわる前に、波乱に富んだ人生に耐え、苦悩と戦える人間になるには、どうしたらよいかを、学んでほしいと思います」 ──今、文壇で華やかに活躍している、佐藤愛子さんの鋭い言であった。
 人それぞれに人生の生き方があろう。合格した人は、堂々と己の道を進むもよかろう。運悪く不合格の人も、長い人生の旅路にあって、ひとたびは挫折に思うかもしれないが、無事に合格し順調にスタートした人よりも、はるかに偉大な財宝の楔が入っているかもしれない──ということを、強く銘記してほしいのだ。とくに私は、不合格の人たちに胸を痛めながら、その前途の人生がより深く、大きく構築されていくことを願いたい。
 私は、多くの学生を知っている。幾度か浪人をしながら受験して初志を貫き、今、社会の第一線にあって、大きい活躍をしている人を何人も知っている。その人たちは、異口同音に快活に言う。
 「僕も二回東大に落ちたよ」
 「大学時代は二年落第してしまったよ」
 今になって語る彼らには、それはもはや、懐かしさと思い出の歴史であった。そこには、なんの翳りもなく、栄光の人生にとって深い体験と土台にこそなれ、マイナスの何ものもないようだ。
 私は、四月二日に、私の関係する大学に、次のような言葉を贈らせてもらった。
 “英知を磨くは何のため、君よ、それを忘るるな”
 “労苦と使命のなかにのみ、人生の価値は生まれる”

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