Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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白鳥――瓢湖で餌づけに成功したS氏の情…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  三年ぶりに、新潟に行くつもりで羽田空港に着いた。その日の、午後三時二十五分発の国内航空に乗るためである。
 東京の空は、晴天であり、風もない。ところがである。新潟方面は、二時過ぎより吹雪になったようだ。横降りもひどく、見通しも悪く着陸が困難であるという連絡があり、結局、欠航と決まった。ふと、私は、現在が安穏であっても、人生の最後の総仕上げともいうべき滑走路が、猛吹雪であったり、破損していたならば、なんと惨めな奈落の人生であろうかと思った。
 空港よりの帰り道、車中でこういう話を聞いた。新潟県、阿賀野川の北に、瓢湖という周囲一・二キロの小さい湖がある。白鳥で有名になったという。
 昭和二十五年の二月六日のことであった。シベリアから数十羽の白鳥が渡ってきたのだ。それを見た湖畔に住むSさんは、それ以後、白鳥にとりつかれたという。Sさんは、かつて明治の昔、瓢湖には白鳥が、たくさん飛んできたことを知っていた。翌二十六年にも、二十七羽の白鳥がやってきた。Sさんの餌づけの苦労が始まったのである。真冬の冷たい水に体をひたし、白鳥のついばんだ餌を食べながら、同じような餌をつくったという。
 付近の人々からは「頭が狂った」と嘲笑された。ついに、昭和二十九年になって餌づけに成功。Sさんの作った餌を、白鳥が食べたのである。Sさんは勝った。笑っていた人々は尊敬に変わったことであろう。歴史には、こういうことが多い。
 県は、Sさんの熱意に動かされて、禁猟区に指定。さらに国は、白鳥を天然記念物にした。
 Sさんは昭和三十四年、六十四歳で死去。父の後継者として、子息が世話をしているという。現在では、毎年、三百数十羽の白鳥が飛来し、悠々と休息し、多くの人々から貴重な鳥として、楽しく見守られているようである。
 最も、自分の適した所に行くのが、動物の本能であり、摂理でもある。人間も、また、最も自身の生きがいの場所に行きたいものであろうし、幸せという所に行きたいもののようだ。
 多くの青年が、理想に燃えて、自分の最もふさわしいところに行こうと努力し、成長しているのを、絶対に阻害してはならない。それは、社会悪であり、政治悪でもある。 青年の、最も望むところに、──適材適所に行かせ、見守るのが指導者の使命であり、悲願でなくてはなるまい。

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