Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一粒の種――人を育てるにも「蒔かぬ種は…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  久方ぶりに九州の地を訪れた。その日は、晴ればれとした、うららな一日であった。いっさいの行事も終わり、友人がぜひともといって、花の栽培で有名な西の浦海岸へ誘ってくれた。
 この地は、福岡市の西端。玄界、小呂の二島を有し、人口約千二百人という。戸数は、四百戸の小ぢんまりとした静かな町である。海流の関係で、南国・九州のなかでも、暖かい気候に包まれ、まことに民情ゆたかな土地であるということも聞いた。ともあれ、玄海国定公園のなかで、唯一の景勝の地といわれている──ここ西の浦を、私は初めて知った。
 友と小高い丘に上がった。二十ヘクタールもあろうか、あたり一面の花畑は、岸辺の岩々を洗う玄界の海原と相対して、じつに素晴らしい。寒咲き菜の花は、いまや終わりを告げようとしているものの、それでも、まだ、ほのかに漂う黄と淡い緑のなかから、あの芳香が深い詩情の世界へいざなってくれた。
 あるいは、これから真っ白く咲き開こうとしているユリの凛々しい姿。あちこちで心底から明るい顔を出す金盞花の真っ赤な花びら。そして、対照的な葉の緑。すべてが大自然の調和として、そのまま一幅の大画をなしていた。思わず拙いながらも一句が浮かんだ。
  天空に 絵とばかり見る 西の浦
 そのとき、友人から聞いたひとことが、胸に突き刺さった。この「花の栽培」の起源についてである。──昭和五年、地元のS氏が、何かの用事で上京する車中、ある人から金盞花の種をもらったという。大切に持ち帰り、さっそく、真剣に栽培にとりかかった。温暖な気候、豊沃な土地という好条件も重なり、見事、金盞花は開花したことであろう。以来、四十年の歳月が流れた今では、九州の人々に西の浦の花と親しまれ、誇りとされるにいたったのである。まさに一粒の種である。
 「蒔かぬ種は生えぬ」という、古くからの諺があるが、人を育てるのも、指導するのも、なんらかの種を蒔かなければ、花実をもたらすことはありえない。
 その「種」を見つけ、栽培していくのが、社会生活にあって、先達の役目とするところであろう。未来の平和社会のために、良き種を見いだし、栽培し、あらゆる害と戦って、立派に開花していく人材を育てねばならぬということを、この話より教わる思いがした。社会に開花する「栽培の法」とは何かを、識者は考慮してもらいたい。

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