Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

郷里――人間は、どこかに帰るべき原点を…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  私は、根っからの江戸っ子だから、いわゆる郷里をもたない。夏休みなど、友人たちが、胸をふくらませて帰郷していく姿を、ずいぶんうらやましく思ったものである。コンクリートに囲まれた都会から──緑に包まれた幾山河。父母の住む茅葺屋根。そして土の香りも高い田舎道。車窓に映りゆく風物の一つひとつが、懐かしさで一杯であろうと、ひとり想像をたくましくすることもあった。それは、人間性の絵であり、詩情の結晶である。
 郷里を懐かしむ人情は、いつの時代にも、変わらざるものであろう。若き詩人啄木の歌った、
  かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川
  ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
 は有名であり、知らぬ人はない。『万葉集』などにも、望郷の歌は少なくない。
  み雪ふる 越の大山 行き過ぎて いづれの日にか わが里を見む
 いつ帰るともしれぬ故郷を、折にふれ、物にふれ、思い出すのが、人の心というものであろう。
 また、海外に出た人々が、帰国して述べる感想は、異口同音に、やはり故国が一番いいということである。
 戦時中、軍部と闘い獄死した、すぐれた教育学者である牧口常三郎氏は、その著『人生地理学』のなかで「郷土なるものは、吾人人間に対して、一種不可思議の勢力を有するものと謂うべし」と述べて、地理教育の基本に、郷土研究をおいて、自然と人間の関係による地理学の新分野を開拓した。これらの郷土観も、見る人の立場によって、さまざまな広がりをもつようだ。
 隣村と争っているときの郷土は、一村に限られてしまう。しかし、集団就職等で、都会の荒波にもまれたとき、いつか、同郷人としての連帯意識をもつようになる。
 国際的舞台に出たときには、同じ日本人同士として、故国を懐かしむし、民族、人種とその範囲は、しだいに拡大していく。それが、地球を飛び立って、月面に立った宇宙飛行士は地球を故郷として、懐かしむ思いに駆られるであろうことは、想像に難くない。
 人間は、心のどこかに、帰るべき原点を求めている。それは漠とした、観念の世界ではなく、自然と切り離すことのできない実在の世界である。郷里こそ、人々の心に描かれた真実の平和郷ではないだろうか。郷里をたんなる票田としか考えないような政治家には、平和を論ずる資格はなさそうである。

1
1