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日蓮大聖人・池田大作

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読書――人生の彫りを深める著者と読者の…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  私は、健康上の理由と、さらに家庭経済の事情から、大学で学ぶ機会には、あまり恵まれなかった。それだけに、青年のころから本好きの傾向になったようである。手に入るものは、片っぱしからむさぼり読む習慣がいつしか身についてしまった。一種の読書癖とでもいえようか。読書については、人一倍関心も強く、多忙な今日でも、私にとって欠くことのできない日課の一つになっている。
 それだけに、書物を通じて啓発され、多大の恩恵をこうむっていることを、いつも感謝している。「初めて本を読むときには、ひとりの友と知り合いになり、二度目に読むときは旧友と出会う」という中国の諺がある。
 夜の更けるのも忘れて、登場人物と、時代背景のなかに没入して、夢中になって読んだ歴史小説。難解さに悪戦苦闘しながら、一向に進まぬページ数を、うらめしく思った哲学書。薄給の時代に、暇さえあれば、神田の古本屋をわが書庫のごとく行きつ戻りつしながら、小遣いがたまるのを待って、飛んでいって、まだ売れずにあった本をわが手にしたときの嬉しさ。思えば、これら一冊一冊が、青春時代の懐かしい旧友である。
 物を書く苦労は、やはり自分で書いてみないとわからない。一冊の著作には、それなりに著者が、自己の生命をむきだしにして、全身をたたきつけた生命の躍動を、まざまざと感じさせる。しかし、そのような読み方ができる本には、めったに会えるものではない。
 時に、そんな本に出会ったときほど嬉しいことはないし、言いしれぬ充実感をおぼえる。反対に、新刊広告を頼りに、期待して開いた本に、まったく読者を愚弄した、ふまじめな作者の態度があったときほど、腹立たしいことはない。
 ひと握りのインテリだけが、読書していたのは、もはや過去の時代といえよう。近代教育の普及は文盲を追放して、知識の独占を排した。
 これからは知識の大衆化の時代であるという。それだけに多量な情報の流れのなかで、いかに主体的な人間形成を行っていくかが、大事であろう。現代では、ともすれば思考さえも、他人の頭脳を借用して、みずからの思考を停止してしまう人すらあるのである。
 だからこそ、読書の効用を強調したい。それは、たんなる知識の充足ばかりではない。書物をとおして、著者と読者の対話が生命の波動を生み、人生の彫りを深めていくからである。

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