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日蓮大聖人・池田大作

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歌声――「民族の興隆するところ、かなら…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  数年前のことである。初めて大阪城の天守閣に登って、眼下に街並みを俯瞰した。ヨーロッパなどの、血なまぐさい城郭に比べ、日本の城には、言いしれぬ詩情がある。近代都市の真ん中にあっても、郷愁こそ誘え、少しも不調和を感じさせない不思議さをもっている。
 その資料展示室には、当時の武具やら秀吉の書簡などが、数多く並べてあった。そんな一隅に、だれが画いたものかわからないが、大阪城の築城の模様をまとめた絵巻物がある。私の、印象に残ったのは、決して、それが名画であったからではないし、絵の意図した大工事の威容でもない。
 石垣に使う大きな石を、大勢の人たちが引いているかたわらで、リーダーが笛や太鼓とともに、音頭をとっている様子であった。陽気な知恵者の秀吉が考えたのであろうか──生きいきとした活気があり、音楽入りの歌声の聞こえてくるような響きが、まことに印象的なのである。
 「民族の興隆するところには、かならず歌がある」と言った人がある。大阪城をもって、民族の興隆に譬えるつもりはないが、建設期、開拓期には、それにふさわしい歌が生まれ、人々の共感を呼んでいくものである。あの戦争中にも、当初は勇壮な歌もあったが、いつか哀調をおび、悲愴感をただよわせるころには、日本の敗戦は、確定的なものになっていた。
 その民族が、若々しく、未来に大いなる希望に燃ゆるとき、その大衆は、おおらかに建設と繁栄の譜を、歌いあげていくであろう。かつて一高寮歌を高唱し、高下駄を鳴らして闊歩した姿には、方向の善し悪しは別にしても、青春を謳歌する気風が爛漫としていた。今日の日本の繁栄を見るとき、そうした歌が生まれないのも、結局、虚構の繁栄を見る思いがしてならない。
 歌こそ、庶民の心である。官制の国民歌謡が、真実に流行ったためしはない。すさんだ世相のなかには、明るい歌は生まれない。
 『古今集』の「花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける」も、公害社会では夢物語になりそうである。
 日本人の生活のなかに、ふたたび、こうした歌声が勃興したときに、真の平和社会が誕生するのではなかろうか。それが、だれもが待っている新しい時代であろう。

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