Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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夢――吉野桜とビクトル・ユゴー  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  幼年期より、どうも私は、身体が弱かったようだ。小学校の通信簿には、腺病質と書かれていたことを記憶している。父にも、母にも、健康のことでは心配をかけどおしであった。それも医者より、よほど大事にしなければ、早死にでしょうと、よく言われた身体である。しかし、弱々しい少年にも、それなりの夢があった。
 その一つは、当時の家の前に、春になると思い切り咲き薫る、大木の桜があった。その見事さを眺めながら、少年は夢みたのである。いつの日か、どこかに幾千、幾万の桜を植えてみたい──その満開の、壮大なる桜並木を見たならば、人々の心は、どんなに晴れやかになることであろう。少年の胸は、知らずしらずのうちに、義経を愛し、千本桜の吉野山を憧憬していった。
 もう一つの夢は、『レ・ミゼラブル』を読んだときである。その感動は、食を忘れ、夜の更けるのを忘れさせるくらいであった。少年の心は、曠野に飛翔し、天空を駆けめぐる興奮をどうしようもなかった。──無名でもよい、一生のうちに、後世に残せるような小説を書いて死にたい、と夢をいだいたのである。ある冬の真夜中、御伽の国を思わせる星座を仰ぎながら、誓ったことが懐かしく甦ってくるのだ。
 光陰は矢のごとく、時は移り、今年、私は四十三歳となった。思えば、多くの人々のおかげで、少年時代の二つの夢が、今日、早くも実現しつつあることを、心から感謝し、喜んでいる。
 それは、秀麗富士の裾にある大石寺の周辺に、鬱蒼たる杉木立と対照的に、約十万本の吉野桜を植樹することを許されたことである。
 もう一つは、小説『人間革命』と題して恩師の伝記を、七年の間、書きつづけることができたことである。全巻十五巻の予定ではあるが、その半分まで書き進めることができ、少年の夢も、あと一息で消えないですむところまできた。
 社会は厳しい。人生の航路も波浪が多い。夢は、現実の激浪に消えがちの世代でもある。だが、努力し、苦節と戦い、生き抜いていくうちに、大なり小なり、少年時代の夢が、この現実の舞台に、昇華されていくことができることを、私は、身をもって知った。 少年の夢は美しい。その夢を、なんとか達成させてあげる社会にしたいものだ。──成年になって、汗水流して苦悶しながら、それを実現していく姿も、またそれなりに美しい夢かもしれない。

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