Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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酸素――人間の歴史は植物の歴史の二千分…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  スモッグにかすむ、冬の寒空を眺めながら、ふとこんなことを思った。──いったい、空気中の酸素は、いつごろできたのであろうかと。ちょっと調べてみて驚いた。二十億年前の地球の大気には、酸素がほとんど存在しなかったというのである。始原大気の組成は、炭酸ガス九割、窒素一割弱(それ以前の地球はメタンガス等が多量に存在していた時代もあったといわれる)だという。
 なるほど、こんな組成では、酸素を呼吸する生物というものは、とうてい住めない。しかし、宇宙の不可思議な鼓動といおうか、地球の生命発展への営みが確実に胎動していった。緑色植物の光合成という、じつに絶妙な作業が進んでいたわけである。つまり緑色植物は、みずからのクロロフィル(葉緑素)を媒介として、大気の大部分を占めていた炭酸ガスを吸って、代わりに、酸素をはきだしてくれたのである。 現代において、専門分野の研究が盛んになり──この始原大気への“酸素登場”という重大なる劇的場面は、おそらく十数億年前に、その幕をあけた、と聞いたことがある。
 大気形成の本格的な解明は、当然、地球自体の誕生や、その大舞台である銀河系宇宙の発生にまでもさかのぼらなくてはならないようだ。
 ともあれ、一枚の葉のクロロフィルが酸素を生み、その酸素が、より高度な生物を生む土壌をつくり、その生物が人間文明にも脈絡を通じてきた事実の流れは、あまりにも妙であり、不思議なことと言わざるをえない。
 人間の歴史は、いまだ六十万年を超えるか、超えないかである。人間にとっては、この長く遠い時間も、緑色植物が営々として、酸素を生産してきた時間と比べれば、わずか二千分の一にも達しない。
 万物の霊長として、この地球上に君臨している人間も、考えてみると愚かな存在になりつつある。宅地造成だといっては、酸素生産の根源である樹木を、バタバタ切り倒していく。加えてエンジン燃料の副産物として、炭酸ガスなどをどんどんまき散らしている。いうなれば、宇宙の着実なるリズムを、自身のつくった文明で破壊し、みずからを危うくしているのである。
 利口げに、科学万能主義に徹する人もいるようだが、大自然のリズムに調和していく、謙虚な人間主義の姿勢を絶対に崩してはならない。

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