Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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音――心のすさみ、争いごとを招く騒音  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  人間社会には、さまざまな音がある。騒音などは、都市公害の一つであろう。その音源には、自動車あり、トラックあり、電車等々。また、拡声器、工場の動力、飛行場付近などと数えあげれば際限がない。不快感きわまりないこれらの音に悩まされるのも、近代文明の副次的産物といえよう。
 騒音も、五十ホンを超えると、身体的に悪影響が出てくるといわれる。飛行場近くの小学校に防音壁をつけたり、規制をもうけたり――防止対策もないではないが、機能的な聴力の低下のみならず情緒的な悪影響をふくめて、人間性が極度に破壊されていくことは、未来の世代のために、はなはだ憂うべきことである。
 人間の器官のうちで、五感は、外界の変化に敏感に反応し、その人の身体にも、心にも微妙な変化を与えていく。とくに、視聴覚については、古来、音楽、絵画、演劇、舞踊などの芸術が、いずれも、それに訴えるものから発達していった。
 音楽なども、聴覚を通じ、結局は“音”が聞く人の心の琴線にどうふれるかの芸術であろう。したがって、かならずしも耳に聞いて楽しい、美しい音ばかりで構成されるとはかぎらない。
 最近では、新分野の開拓をめざすため、しだいに複雑な音の構成をしていると聞く。邦楽とオーケストラ、ギターとオーケストラ、シンフォニックジャズ、電子音楽等々。その分野は、ますます広がりつつあるようだ。
 また、コンピューターによる作曲、エレクトーンによるオートマチック演奏なども考えられる時代となった。
 私は、私なりに、音楽というものは生きものであると感じている。心の感動を音に託して、初めて音楽は成り立ちうるものと思うし、心と心の共鳴以外の何ものでもない――と思っているが、どうだろう。時代的、社会的環境によって、人々の好む音楽は、大いに変遷したであろうが、音楽そのものの変化よりも、人の心の変化であるといえまいか。そこには、計算で割り出しえない微妙な響きがあり、科学の到達しえない広々とした世界がある。
 騒音で、人間のこの聴覚を鈍重にしてしまうと、心の通じ合いを不感症にさせてしまう。その心のすさみは、しょせん、争いごとを増長させ、平和を破壊する行為を生むことになりかねないと思うのは、私一人ではあるまい。

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