Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

酒――栄えゆく人間の“命の水”を  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  私は、酒を飲まないというよりも、飲めないといったほうが正しいかもしれぬ。父も、飲めなかったところをみると、どうも生来の体質のようだ。
 私の周囲には酒を好む人が多い。私も、イヤな酒でも付き合わなければならないことが多くなった。
 その日の疲れを癒し、その場を天空の舞いにしていくその人を見ていると、酒を好む人は幸せであるとさえ思われてくる。とくに、老人にとって適量の酒は牛乳であると言った人がある。至言であろう。その反対に、陰険になって人に絡み、周りに迷惑をかけていく人の姿を見ると、酒席のことながら卑怯さを感じるときもあった。
 “酒”についての歴史は古い。ギリシャの神話では、バッカスが小アジア地方で叔母から、葡萄の栽培と酒造りを教わったと伝えられている。中国では、今から約五千年前、禹王の時代に始まり、わが国では、『古事記』のなかに木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)が、自身で米を噛んで造ったといわれている。
 “さけ”の語源は「さかえ水」。それを飲んで、繁栄の心持ちになるので「栄え水」と称し、転じて「さけ」となったという。
 なお、ビールの発祥は、古代エジプトであるといわれ、ピラミッドの副葬品の一部である女性像も、おそらく、王様にビールを献上する儀式をあしらったものだと聞く。
 ウイスキーの語源は、ケルト語で「命の水」といわれている。他にも学説があるかもしれないが、間違っていたらお許しを乞う。
 ――ともあれ、お酒の好きであった恩師はよく言われた。
 「酒を飲むなら下郎の酒は飲むな。家老の酒を飲め」と。飲みすぎて管を巻き会社を休んだり、自分の生活を破滅させていってはならぬということらしい。そうなっては酒も毒杯と等しくなってしまう。
 諺に「一杯は、人、酒を飲み、二杯は、酒、酒を飲み、三杯は、酒、人を飲む」と。また「大杯に溺れるものは、大海に溺れる人よりも多い」と。
 この地上に、酒がなかったら潤いもなく淋しかろう。歴史も変わっていったかもしれない。善きにつけ悪しきにつけ。
 しかし、酒で憂き世をまぎらわせるといっても、刹那にすぎない。ゆえに、ここらで、栄えゆく人間の「命の水」を――少々考える必要があるのではなかろうか。素面の時、瞬時でも。

1
1