Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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電柱――一本の電柱にも“美”を凝らす姿…  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  文明の利器の一つに電気がある。それらをつなぐために、電柱が必要だ。電柱の立ち並んでいる風景は、はなはだ平凡な姿といえばそれまでである。
 その電柱にも、つい昔までは、それなりの風情があった。電線には、冬の風景の片鱗として、雀が可愛らしく並んでいたり、正月にもなると、子供たちのあげた凧がひっかかり、風に揺れ動いていたものだ。微風の春になれば、つばめがすいすい、電線の上下を行きつ戻りつして、自然の四季のなかの電柱も、一幅の絵画の背景になったものである。それが現在では、ベタベタ貼り紙をされた傷だらけの電柱。幾百万台の自動車の騒音、排気ガス、工場の大音響、煙突の煙、飛行機の轟音、無表情な人々の波。軍国主義の亡者でなくとも、これらのギスギスした公害戦を、あたかも“戦場”と感ずることであろう。電線でさえ鉄条網と映るかもしれない。
 先日、あるデパートの首脳と親しく懇談した。さりげなく彼は、ヨーロッパの片田舎の電柱の模様を語りはじめた。 ――どの電柱も、なんとなく優雅に見える。電柱付近の電線も、クルクルと螺旋状に丸められ、その姿は、まことに芸術的であったというのである。そこで彼は近くにいた人に質問した。 ――丸味をつけたのは、なにか技術的な意味があるのか、と。その答えは意外であったという。たんなる送電の目的のみならず、一本の電線にいたるまで、風景とマッチさせ、美術技士が設計し作っていくものである、と。都のパリは、電線が地中に埋設されて、いわゆる電柱は見られない。だが、街路灯は道路の両サイドに、それぞれ美しく立っている。その林立する灯も、すべて造形美に重点がおかれ、周囲の環境に見事に融合されていることは有名だ。これらのデザインも美術家によって克明に検討されていると聞く。電柱とは異なるが、同じく花のパリを彩るマロニエの街路樹の根元には、鉄の目皿が置かれている。生長していく緑の樹木をいつまでも守るために。その輪が、ドーナツ型になっており、中央部の空洞は、樹木の直径よりも、充分に広くとってあり、余裕があるところをみると、なるほどとうなずけてくる。一本の電柱にも“美”を凝らそうとする思考。樹木の保護を第一とする姿勢。小さなことのようだが、平和を守り抜こうとするうえで、貴重な示唆がここにある。そこからは戦争への心は起こるまい。
 コスト優先主義の“エコノミック・アニマル”と、コストもさることながら、つねに美を忘れない“人間”との相違を考える昨今である。無名の美術家も日本にはたくさんいる。その人々が、“美の国”を創るために活躍できる機会を、大いに与えてもらいたい。ヨーロッパに外遊した政治家、経済人よ。

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