Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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菊――大輪の花を咲かせる陰の喜びを  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  秋を飾る草花が、終わりを告げるころ、ひときわ鮮やかに、咲き誇る菊は、春の桜と対照的で、やはり花の王者といえよう。
   菊を采る 東籬の下
   悠然として南山を見る(陶淵明)
 近ごろは、野生のものより観賞用に栽培されたものが多い。それでも「悠然として南山を見る」気分にさせてくれる風格が、菊にはある。古来、文人、画家が、こぞってこの花を愛でたのも、ゆえないことではない。
 菊の伝来は、一説によると、大和時代、中国から朝鮮を経て、日本に渡ってきたものと聞く。中国では、五十万年から百万年以上昔の菊の原種が、化石となってあらわれたというから、永い生命をもつ花である。この花が、人々の心をとらえるのも、なにか東洋的な心を宿しているからかもしれない。
 異名が多いのも、この花の特徴だろう。日本では、チギリグサ、ヨワイグサ、モモヨグサなどと、不老長寿にちなんだ名で呼ばれている。
   白菊に 黄菊のちぎり 深緑(虚子)
 結婚祝いなどに、菊が好んで用いられるのも、そうしたいわれであろう。花を愛でる心、花に託する思いなど、自然を愛する心は、いつまでも失いたくないものである。菊の栽培は、江戸時代中期から普及したというが、たいへんな苦労で多様な変種を育て、限りない変化で見る人を楽しませてくれる。
 私には、菊作りの経験はない。しかし丹精込めて、見事な大輪を咲かせる心境は理解できるような気がする。手塩にかけた青年たちが、立派に成長していくのを見守っていくことを、最大の楽しみとしているからであろう。
 それぞれが個性豊かに、存分に力を発揮し、社会に開花していくのを見るとき、それまでの苦労を忘れる菊作りの心境に相通ずるものがあると思う。「菊作り菊見る時はかげの人」とあるように、その心境は、陰の人でなければわからないし、それでよいのだと私は思う。当今は、みずから菊となって咲きたがる人や、安直に鉢植えを買って、すましている人が多すぎるようだ。次の時代は、青少年たちのものである。世の指導者たちは、みずから咲くことよりも、陰で――次代の担い手を育成することに、全魂を傾けるならば、どれほど美しき社会が現出することかと、思わずにはいられない。

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