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日蓮大聖人・池田大作

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GNP――虚構の繁栄、幻覚の総生産  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  ここ数年来、わが国では“GNP”(国民総生産)という奇妙な信仰にとりつかれていると言った人がいる。
 たしかに、自由主義国のなかでは、世界第二位のGNPを誇る経済大国に発展したという話は、いたるところで宣伝されている。「昨年度GNPは六十兆円を超し、今年度は七十兆円にまで増える見込みだ」という。戦後の廃墟から立ち上がり、わずか四半世紀にして、これほどまでに繁栄してきたのは、まさに奇跡であるが、それが、だれだれのお蔭だなどと言われると「ちょっと待ってくださいよ」と言いたくなるのは、私一人ではあるまい。
 国民が、本当に求めている経済的な要求に対する回答は、はたしてGNPと呼ばれる国民総生産のことなのだろうかと、反問したくもなってくる。
 総生産といえば、現在、深刻な問題となっている公害について、これを解決するためには、膨大な社会保障も必要だし、新たな公害防止産業も起こることであろう。つまり、公害の跡始末のために仕事が増大すればするほど、それも総生産の一つとして、GNPは、うなぎ登りに増えていく。
 また、市場価格で評価されるから、物価が上がれば上がるほど、GNPも増大することになるのだという。これらは、経済の専門家たちにとっては、当然の常識である。だが、国民はそんなこととはつゆ知らない。ここにGNP信仰のマジックがひそんでいるといえよう。
 国民が望んでいるのは、楽な暮らしなのだ。福祉も増進し、所得も充分、文化生活を営めるだけの余裕がほしいのである。GNP世界第二位は、国民にとっては一種の幻覚剤にすぎないのではないか。
 一九二九年の十月、ニューヨーク・ウォール街は大混乱に陥った。上昇の一途をたどっていた株価が、突如として大暴落したからである。世界的恐慌の始まりであった。
 ゆがんだ経済状態のうえに築かれた虚構の繁栄ほど恐ろしいものはない。しかもその実態はいつも国民には知らされていない。それで結果として、いちばん苦しむのは、いつも決まって庶民なのである。麻薬の甘美さは一時的現象であり、ついには身体を蝕んでいく。いつまでも、精神的幻覚剤の呪縛にかかっていたのでは、この国の行く末が案じられてならない。

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