Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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味――種のよさこそ、“日本一”の秘密  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  先日、ある新聞社の編集長と語り合う機会があった。その折、彼はこんな話をもらした。
 ――友人から、日本一という関西のある板前を紹介された。そこで彼は関西に行った折、その家を訪ねた。日本一というからには、さぞかし味もよく、体裁も見事なものであろうと、生唾を飲む思いで、板前の前に坐った。
 ところがである。板前先生、彼の前で、生エビをさらっとむき、それを串に刺すと、ちょっと火に焼いて、そのまま出した。味も、素っ気もない仕草である。エビはまさしく旨かったが、その呆っ気なさに、彼は不審に思った。東京からわざわざやってきたのに、これが日本一の味かと思うと、少々がっかりもしてしまった。
 ところが、彼のその味気なさそうな顔を、さっと察知した板前氏は、平然として話しだした。
 「味をつけるとなると、いくらでもできます。腕前しだいで、それなりにだれでも、ある程度の味付けはできます。しかし、私はエビそのものの本当の味をあじわっていただくために、日本で最高のエビを探すことが、日本一の味だと思っています」
 こんな意味の言葉を聞いた彼は、やっと日本一の味をかみしめた。そして、日本人の微妙な、純粋な味覚の極意というものに思い当たったというのである。
 路傍の石をいくら磨いても、光は出ない。金剛石を磨けば、燦然たるダイヤモンドの光を放つ。エビの種のまずいものに、いくら味をつけても、エビ本来の純粋な味は出るはずもない。
 エビにかぎらず、人間もまたそうである。社会的な地位や、名声や、家柄や、権力などのいっさいの虚飾をはぎとった後に、その人間の純粋な味があるのだろう。味のある人間とは、この隠れた人間性を意味するのである。
 昨今、企業や団体で、人を訓練し育てることが流行している。結構なことだ。しかし、大切なのは、まずその人がもつ――隠れた才能を発見してやることだ。そして、その発見されたそれぞれの才能を磨きに磨かせることだ。
 訓練育成に名を借りて、見当違いな変な味つけはやめてほしい。せっかくの才能をいたずらに殺すことになるからである。

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