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日蓮大聖人・池田大作

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月――失いたくない“詩のこころ”  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  秋もすっかり深まってきた。朝晩、ひんやりとした空気が、身にしむ時を迎えた。
 花鳥風月――大自然の美しさに恵まれているわが国だが、四季のなかでも、秋は、また格別だ。とくに夜がいい。一日の仕事を終え、一息いれながら、ふと眺める冴えた月に、忘れられていた自然を再発見し、そのなかにいる自分をあらためて見直してみることがある。
 月も、四季によって、その趣はさまざまである。寒々とした冬の月は、名剣の冴えを感じさせ、心まで引き締まる思いがする。花の香にけむる春のおぼろ月、ゆかたがけで、うちわ片手に見る夏の月と、それぞれに詩情があふれている。
 だが、やはり月は、秋にまさるものはないと思う。季題でも、月は秋のものだ。
  門とぢて 良夜の石と 我は居り(秋桜子)
 日本人の心には、時間空間を超えて、つねに情趣をもたらすものとして、月は、映じていたようだ。月には、遠い過去から、永劫の未来までに思いを馳せさせる不思議な力があるのかもしれない。
 しかし、最近では、その月も、都会ではあまりはっきりとは見られなくなってしまった。かつて“月に叢雲 花に風”と、とかくままならぬ浮世の譬にうたわれたのが、今日では“月にスモッグ”では、詩も歌も、顔負けである。
 科学技術の発達は、人間生活を合理化し、能率化し、果ては人間が、月にまで到着したが、こうなると月の情趣は奪われてしまう。まことに味気ない。コンピューターや、技術では表現しえないものを、もっと大切にしなければなるまい。そこにこそ、人間らしさを見いだせるからである。
 芥川龍之介は「太陽は西に沈みと言う代りに地球は何度何分回転しと言うのは必しも常に優美ではあるまい」と皮肉を言っているが、詩や文学が、科学技術によって圧殺され、喪失されていく世間は、決して住みよい世間だとはいえまい。
 人間が、人間らしくなくなるような世の中を望むものは一人もいない。であるならば一人一人が、心の豊かさを取り戻すことである。破壊に向かって猛進する愚行を、止めることができないほど、叡智のない人類ではないと、ひそかに思っている一人である。

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