Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青春の空  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  私の高校時代は、終戦直後に始まった。──高校といっても、六・三制の直前であったので、つまり旧制中学の高学年であったわけである。
 国破れた、廃墟の市街の上に広がる澄みきったあの青い空の色は、今思い出しても、すがすがしい。私の青春の“空の色”でもあったのだろう。実生活は、瓦礫の上にあるような、たいへんな時代であった。私も、そのころの若者の一人として、いつも腹を減らしていたし、焼けだされた貧しい身なりをしていたが、わが胸中は、一時に希望の花が咲いたように、満ちあふれていた。 やっと戻ってきた貴重な平和──私の身辺にも戦争は取り返しのつかない、犠牲を強いていた。犠牲が大きかっただけに、私の夢と希望は、無限にふくらんだのである。
 夜間の学校で、教室も荒れ、裸の電球が天井からつり下がっていた。そまつな机といす、しかも停電は毎夜のことである。しかし、私たちのクラスはみんな元気であった。さまざまな生活上の不都合を、みんな抱えていたにちがいないが、苦労を苦労とも思わなかった。あの敗戦直後の晴れ渡った、青い澄んだ空を、めいめいが胸にいだいていたからである。
 ともかく、みんなで勉強ができる。こうして、本も読めれば、ふざけあうこともできる。もうこれだけで充分に満足でごきげんであった。新しい知識に飢えていた。難問であればあるほど、その努力が喜びであった。知識は、乾いた砂が水を吸うように、きわめて自然に流れこんだ。日ごと夜ごと、一種の充実感に酔っていたようである。
 子供のころからの読書癖は、ここでまた輪をかけて、古典、新刊、洋の東西にわたる文学書で、手に入るものをかたっぱしからむさぼり読んだ。薄給のなかで、小遣いがいくらかたまると、神田に飛んで行き、だれにも買われずにまだあった本を、手にしたときの喜びを知ったのもこのころである。
 今、時代が変わって、生活経済は豊かになったが、私の高校時代の、澄んだ青い空は、どこかへ行ったようである。諸君の“青春の空”は、どんより曇って、スモッグに悩ませられているように思える。いったい何がスモッグなのであろう。現在の日本社会は、残念なことに、かつて戦争を指導した連中の残党が、いつかまた君臨している。絶対平和の青空を二十一世紀に望むからには、諸君はこれからのスモッグに悩ませられてはならぬと思う。(昭和四十四年四月「高2コース」掲載)

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