Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙時代と宗教  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  宇宙は、広大な庭である。人類は今、やっと、その敷き石の一つに、恐るおそる足を踏み出したといえまいか。将来、太陽系のなかから、さらに銀河系宇宙へと飛びまわる寵児になるためには──その前途に、ロケット工学、燃料、乗り込む人間の問題までからんだ、幾多の障害が横たわっている。
 人類が飛行機を造り、重力に逆らって、大地を離れて、まだ数十年しかたっていない。人類の英知が、これらの難関を次々と突破し、本格的な宇宙時代を開いていくことを信じ、私は期待している。
 この宇宙時代には、ますます宗教の存在が重要になってくるにちがいない。宗教は本来人間のものであり、人間精神の最高の結晶であり、光輝である。しかし、この希望に満ちた、壮大な未来に生きる宗教は、宇宙大のスケールをもった、将来性、近代性をもっていなくてはなるまい。しかも、発達させた科学を、自分の首を絞め殺す凶器にしかねない人間に対し──強靱な全体性を確立させ、絶対の平和を成就せしむる、偉大な宗教でなくてはならぬことも、当然である。
 ある人が、「科学が発達し、迷信はなくなっても、宗教は決してなくならない」と述べたが、まさに卓見である。
 科学の急激な発達により、真実の宗教と、低い、迷信に満ちたものとの差は、ますます明瞭になっていこう。科学時代に、色あせていく宗教と、興隆し、科学をリードしていく偉大な宗教との好対照を、人類ははっきりと自覚するであろう。
 私は、その偉大な光明を、東洋仏法の真髄に見いだしたい。そこには、宇宙観の確実さ、雄大さとともに、科学を駆使すべき人間生命の奥底に、くまなく光をあびた、素晴らしき生命の哲理が秘められているからだ。
 あの広大なる宇宙の庭を散歩できるようになったとき、人類は、それが仏法の宇宙のほんの庭であり、その東洋の直観の哲理のスケールの大きさに感嘆の声を発するにちがいないと思う。

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