Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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シルクロードのこころ  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  最も強烈な印象として、眼底に焼き付いてしまったのは、展示場の第一歩に飾られた“鹿と豹の箙飾板”である。これがここに展示されたすべての象徴だとさえ思えた。ちょうど門を入って、そこで受ける第一印象が、その家のすべてをあらわしているようなものだ。
 私は専門家ではないから、技術の巧拙は知らない。だが作品のなかに脈打っている人間の生命の躍動は、現代の芸術にもめったに見受けられるものではないと思った。
 結局、芸術の本質は、人間生命の躍動する息吹である。現代人は、この大事な一点を忘れているように思えてならない。スキタイの遺品が二千数百年の歴史を越えて、今も燦然と輝いているのは、たんに黄金のせいばかりでなく、この人間性の光輝のゆえであろう。
 月桂樹をかたどった黄金の王冠や、かつて貴婦人が身につけたであろう、繊細な彫刻をほどこした首飾りや耳飾りも見事であった。こうした素晴らしい文化が、紀元前数世紀の昔に、南ロシアのステップ地帯に栄えていたとは驚異である。同時に、これが戦争によって滅びていった運命を思うとき、平和の大切さを痛感せずにはいられない。
 金といえば、現代人は利害と結びつけてしか考えられなくなっているようだが、こういう美の純粋な追求のためにこそ使ってもらいたいものだ。同じ金でも延べ棒などは、これらと比べるとまったく無味乾燥で、まるでレンガのように思えてくる。
 また青銅の三足復を見、感じたことだが、三というのはあらゆるものを支える土台であると思った。この法理は現代も少しも変わっていないであろう。

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