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日蓮大聖人・池田大作

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家庭はどう築くべきか  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
3  賢明な家庭づくりは、この二つの一見相反する要素を巧みに使い分け、組み合わせながら築き上げていかなければなるまい。家庭は、たんなる私的生活、個人の生活だけではない。
 一家にあって、主人一人が専横をきわめ、かつての家長制のように、妻も子も忍従を強いられるものであってはならない。親の権威にかぎらず、すべての権威が崩壊しつつある時代である。いよいよ親がばかにされるだけで終わってしまうであろう。 また、家庭は──たんなる合理的な共同生活というものでもない。経済的要求から出た共同生活体は、家庭以外にいくつかの例をみることができるが、そこでいつも問題になるのは、どこまで私生活的要素を容認するかということである。共同生活の失敗は、多くこの問題の処理から破綻をきたしている。ソ連のコルホーズ、中国の人民公社等の苦悩も、この関係の解決にあるとみたい。 ともあれ──家庭は、つねに前向きに建設されていくべきものであり、私的なことだからといって、安易な妥協や、わがまま放題の身勝手な環境にしておいてはならない。核家族化が進めば進むほど、そこには、新しいホーム・マネージメントを生み出していく努力がなされなければなるまい。
 たとえば、一人っ子の場合は、とかく甘やかされて、社会に出た場合、わがままな欠陥を露呈して苦しまなければならない。家庭のなかにあって、兄弟姉妹というヨコのつながりをもたなかったために、協調性を身につける訓練がなかったことが、そうした結果を招きやすいことになる。しっかりした視点をもった親ならば、早くからその点に留意し、よい友だちづくりをしていたであろう。
 家庭における時間と、労働の問題も改めて考え直さなければなるまい。家事は、従来、無報酬のために軽視されがちであった。だが、家庭の職業というものや、社会活動にとってエネルギー再生産のために、重要な役割を果たしているという評価がされはじめたのは、よい傾向だと私は思う。
 一家のなかで、主人だけが働いて、あとは食べさせてもらっているという考え方をやめ、立場こそ違え、平等に働いているのだという自覚のほうが、はるかに社会的な連帯感を養うことになっていく。子供が学校に通うことも大事な仕事の一つといえるし、おのおのの人格を尊重することにも通じていくといえよう。
 家庭経済のあり方も、早くから家族会議を開いて相談しあう習慣も、よい方法の一つであると思う。甘えればいくらでもお小遣いをもらえるような家庭と、一カ月のお小遣いを自分で配分して使うような習慣を身につけた子供では、社会に出てからの経済観念に大きな差がつくことになろう。
 家計簿をきちんとつけている家庭は、それなりに生活への工夫と努力がなされているとみるべきである。予算も立たず、生活費と商売の売り上げ金がゴチャゴチャになってしまうような家庭に限って、破綻が起こりやすいものである。
 こうしたけじめのある生活態度が、余裕を生み、健全な家庭を築いていく最高の方法といえよう。
 わが家の話になって恐縮だが、私は子供との約束は、どんなことがあっても守ることを一つの信条にしてきた。時間を守り、約束を守ることは、いつしかわが家のルールになっている。しつけということは、なにか叱って子供に押しつけるものではないと思う。
 立派な民主主義社会をつくるのは、高遠な理想や、むずかしい理論をいたずらにもてあそぶことではない。身近な家庭の、日常生活のなかで、一日一日築かれていくものだと私は思う。

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