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日蓮大聖人・池田大作

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読書について  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  最近、女性の読書人口が、急激に増えているという。最近のベストセラーの陰の力は、どうやら若い女性に負うところが大きいようである。
 これに反して、男性は視聴覚メディアに吸収され、読書を楽しむといった風潮は、めっきり減っていると聞く。電車の中でも、男性の読んでいるのは、漫画週刊誌やスポーツ新聞が多いという。大学生まで少年向けマンガに熱中しているものもあると聞く。
 それでも、一流企業に勤め、生存競争の第一線に戦っているエリート・ビジネスマンは、かなり高度な企業経営の本をこなしていかなければならない。エリートと取り残される人々との格差は、急激に増大しつつある。
 これからの社会においては、知識をもった人と知識をもたない人との格差が、かつての財産、資本の有無による階級分化に代わるであろうと、私は思っている。
 さらにいえば、たとえば自分の専門に関するような、ある限られた部門についての知識ばかりでなく、あらゆる問題について、広い知識と深い理解をもつことが要請されていく時代となっているとも考えられる。
 また、人間管理の仕事にたずさわる以上は、とくに人間性それ自体に対する洞察の深さが、大切になってくることも必定である。
 このように考えると、読書は、たんに専門の参考書ばかりでなく、小説や歴史など広い視野を養う本を読むべきことが理解されよう。
 権威主義的な学者先生たちに言わせると、週刊誌や新聞などを読むのは、読書の名に値しないらしい。私は、そんな堅いことを言うつもりは毛頭ない。むしろ、それが一枚のビラであろうと、真理が述べてあれば、立派に読書は成り立つと考えている。
 知識の泉は、われわれの身の周りに無限にある。大切なことは、真実と虚偽を、どう識別し、良否をふりわけ、そして、正しいもの、良いものだけを吸収するようにするか、であるといえまいか。ある学者は「書物を読みたいと思う熱心な人と、読む本が欲しいと思う退屈した人との間には、たいへんな相違がある」と言ったが、まさに、そのとおりであると思う。読書で最も重要なことは、その取り組む姿勢の問題なのである。
 では、その正しい姿勢は、何によって決定されるかというと、結局、人生への意欲的な姿勢、つねに主体性を失わない、健全で、力強い生き方から起こってくると、私は思う。
 マスコミの発達にともない、近ごろの小説や文学は、いかに多数の読者をつかむかということに奔走しているようだ。そのため、内容が、興味本位の、いたずらにセンセーショナルな、浅いものになっているように思えてならない。
 言論の自由の時代において、作品の質的向上のために最大の責任をもっているのは、ほかならぬ読者大衆なのである。
 民主主義社会を支えるものは、賢明な民衆の存在である。愚かさが大半を占め、賢明さが少数派になったとき、その社会は衆愚と堕す、と言った人があった。
 ニーチェは「いっさいの書かれたもののうち、私は、ただ人が、その血を以て書いたものだけ愛する」と言っている。
 著者が自己の生命を、たたきつけた書は、かならず、読む人をして深い感動を起こさせずにはおかないものである。俗悪で軽薄な作品には見向きもせず、真実の、すぐれた書を求める、真の読書人になっていただきたい。
 今の世の中にも、まじめで熱血あふれた作家、学者も数多くいるにちがいない。そういう人物が表面に多く浮かんでこないのは、結局、読者大衆の責任であるといったら、言いすぎであろうか。
 すべての著作は、これを読む人との対話であり、著者と読者との共同作品でもある。すぐれた作品が後世に残るということは、ひとり著者の名誉であるにとどまらず、読者である同時代の大衆の知的レベルの証明であり、記念碑でもあるのだ。
 ともあれ、読書をせぬ人は、人間として浅くなり、社会の前進に遅れてしまうことは事実である。

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