Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

幸福というもの  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  人はだれしも幸福でありたいと願い、幸福を求めて行動している。それは、人間性の自然の発露であり、当然のことであろう。
 むろん、人々は、かならずしも、日常のあらゆる行動において、自分が幸福を求めてそうしているのだなどと意識しているわけではない。ほとんどの場合、ただ当面の自己の目標をなんとか実現しようと、希望をもったり、苦しんだりしながら、努力しているにすぎないであろう。
 だが、それらの行動を一歩深く掘り下げて考えていったとき、それらはみな、人生の充実を求めての行動であることに気づく。この人生の充実こそが、幸福というものの内容であると、私は考えている。
 人間は、一日たりとも空虚ではいられないものである。三日間も、孤独で空虚な、あたかも白壁に囲まれたような状況のもとで生活していると、おそらく気が狂ってしまうであろう。芸術家が創作に打ち込むのも、学者が研究に没頭するのも、結局は、その世界における自己の充実を求めているといえるのではなかろうか。
 とくに、若い人々にとっては、少しの空白も、気絶するような苦悩として感じられるにちがいない。今日、物質文明の王国であるアメリカにおいて、その物質的豊かさのなかで、青年たちは息苦しさから解放されようとして、あがき、苦しみ、衝動的な行動に走る姿が見受けられる。ヒッピー的な生き方が流行しているのも、ここに原因があるといわれている。
 そのほか、あなたが映画を見るのも、テレビを見て楽しむのも、スポーツやダンスに熱中するのも、ことごとく、生命の充実を求めての行動であるといったら言いすぎであろうか。人々は、この充実を求めて生き、充実が得られないときに不幸を感じ、得られたときには幸福感にひたるのである。
 したがって、幸、不幸というものは、ある意味では、日常において、つねにあるといってよい。しかし、それは幸福の一断面であって、人生の全体の充実、生命全体の充実とはかならずしもいえない。
 たとえば、ある人が芸術に没頭しているときに、心から創造の喜びにひたり、幸福を満喫していたとしても、次の瞬間、外出して交通事故に出あったとすれば、これまでの幸福も、水泡のように消え去ってしまうではないか。
 これは、極端な話ではない。こうしたことは決して少なくないのである。たとえ交通事故のような特殊な例をもちださなくとも、その家庭自体が殺伐としていれば、芸術の世界での幸福感も、言わば現実生活から逃避した、一時の幸福感にすぎないのではなかろうか。このような淡い幸福だけでよいとは、どうしても私には思えない。
 私は、このような相対的な、すぐに消えていくような幸福を、相対的幸福と名づけている。これに対して、自己の生命全体の充実、言い換えれば、人生全体の充実を絶対的幸福と名づけている。
 それでは、はたして、このような絶対的幸福というものは実現できるのだろうか。そこに、私は人生の根本ともいうべき大宗教の必要を痛感するのである。
 結局、人間全体、人生全体を高めるためには、深く人間性に基盤をおいた、根本の指針、哲理というものが必要ではないだろうか。あさはかな、蜃気楼のような、幻影の幸福であってはならない。確固たる主体性を確立し、環境に左右されず、宿命にもしばられず、どんな苦難をも克服し、人生を力強く、悠然と生きることが、それ自体、本当の幸福であり、それが絶対的幸福といえると思う。
 仏法では、この幸福を「衆生所遊楽」と説いている。私たちは何のために生まれてきたかというのに、それは「遊び楽しむ」ためであるというのである。しかし、この遊ぶというのは、通常の意味の遊ぶということではない。生活のなかに、現実の社会のなかに、自己を輝かして自在に乱舞していくことを意味しているわけだ。それは、あたかも波乗りを楽しむように、人生の苦難さえ喜びに変え、希望に変え、人生それ自体を、太陽のごとく気高く、美しく、燦然と光り輝かせていくことなのだ。
 幸福というものは、決して他から与えられるものではない。自己の生命の内に築いていくものである。人生には、嵐の日もあり、雪の日もあろう。だが、自己の胸中の大空にはつねに希望の太陽が輝き、青空が美しく広がっていればよいのである。
 どうか、あなたは、家庭にあっても、社会にあっても、太陽のごとき存在であっていただきたい。そして、自分の幸福だけでなしに、人々の幸福をも温かく見守りはぐくんでいく、心の豊かさをもってほしい。
 私は、次のB・ラッセルの言葉が好きだ。
 「万人はみずからの幸福を望んでいる。しかし技術的に一つとなった今日の世界では、みずからの幸福を望んでも、他人の幸福を望む心と一つにならないかぎり、それは、なんの役にも立たない」

1
1