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日蓮大聖人・池田大作

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働く女性について  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  人間の最も美しい姿の一つは、真剣に仕事に打ち込んでいるときのそれである。これは、たんに男性ばかりでなく、女性の場合も同様である。働く女性が若さを失わないといわれるのも、このためであろう。
 統計によると、働く女性の数は年々増加しているが、動機はどうであれ、これは喜ぶべき現象であると、私は考えている。
 女性が働かざるをえない背景には、種々の問題があろう。たとえば、これから結婚する人であれば、厳しい経済的条件のなかで、少しでもよい結婚生活のスタートが切れるように、独身のうちから働いて貯蓄していこうということもあろう。
 また、結婚してからも、家計をより豊かにするために、共働きをするという人も少なくないにちがいない。これらの背後には、若い人たちに、豊かな新家庭の建設を保証するだけの給与が与えられていないという、社会問題がひそんでいることも、もとよりである。
 それはそれで、当然、解決されねばならない矛盾でもあろうが、そうした条件のもとにおける、現代の女性の生き方それ自体が今の問題なのである。
 この場合、私がなにより強調したいことは、現在の仕事をとおして、なんらかの技能を身につけていただきたいということである。長い人生には、どういう事態が待ち受けているかもしれない。幸福な家庭生活にいったんは入ったとしても、決してそれは永久につづくものではない。
 交通事故で、愛する夫を失うかもしれない。感情のゆきちがいから、家庭生活に破綻をきたすかもわからぬ。子供を抱え、ひとり社会の荒波のなかにほうりだされたとき、自分はいったい、どうやって生きていけばよいのか。――不吉なことをいうようだが、万が一の最悪事態をつねに考え、備えておくことが大事である。少なくとも、現在の世の中は、そうした不幸の落とし穴が、一人一人の身の周りに、不気味な口をあけて待ち受けているのだ。
 不慮の事態に立ちいたったとき、なんといっても心強いのは、なんらかの技能をもっているということである。薄給のなかから、いくら積み立てたとしても、たかがしれていよう。身についた技術というものは、生涯失うことはないし、それを活かしていけば、立派に収入が得られるのである。
 次に職場における女性のあり方について一言しておきたい。
 仕事に責任感をもち、打ち込むことは当然、大事であるが、だからといって、女らしさを捨ててはならない。女らしさを失った女性は、いくら仕事のうえでは有能であっても、結局、周囲からけむたがられ、嘲笑されてしまう。総合的には、大きなマイナスをつくっていることに気づくべきである。
 シンは強くとも、表面は、つねに優雅な気品と温かさをたたえて、職場に春風を吹かせていくような存在であってほしいものだ。傲慢にわがままを通そうとしたり、ヒステリックになったりしては、自分で自分を傷つけているのと同じである。気品のある、女性らしい女性は、幾つになってもみんなから慕われ、大事にされていくものである。
 働くということは、人間の自然の姿でもある。精神の集中、神経の張り、適度の運動、意志の持続――仕事にあたって要求されるこれらの条件は、精神的にも、肉体的にも、老化を防ぐ最高の防波堤といえよう。
 人間の美しさは、たんにお化粧だけで得られるものではない。生命自体の躍動による、内奥からの輝きこそ、真実の美しさなのである。
 仕事を、たんに経済的欲望を満たすための手段と考えることは、誤りである。自分を磨いていく、人間形成の道場ぐらいに考えても、私は、決して評価のしすぎではないと考えている。本当の真剣勝負は、職場にこそあるからである。
 家庭のなかでは、どんなに失敗したとしても、たいがいのことは許されるし、同情され守られる。学校でも、試験があったり、競争があったりはするが、負けたからといって、厳しく追及されることはない。取り返しのつかない失敗をしても、動機のいかんによって判断される面が強い。
 それに対して、職場においては、一つ一つが真剣勝負であり、動機よりも結果が問題にされる。社会が競争の世界である以上、そこで働くものは、男女を問わず、この原理のなかに生きなければならない。自己の人間性を磨くうえで、非情なようだが、これほど絶好の場は、ほかにはあるまい。
 結婚が人生の終着駅でありえないと同じく、仕事も、たんなる途中駅ではない。すべての終着点は、結局、自己の人間完成であり、より豊かな個性を磨き上げ福運を積むことでなくてはならない。この目的のうえに立ってこそ、いっさいの努力は、それなりにかけがえのない価値をもつのである。

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