Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

母となること  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  結婚してしばらくすると、そこには可愛い二世が誕生する。二人の愛の結晶、生命の結晶ともいうべきものであろう。わが子を育てるということは、女性として、母として最高の喜びであり、幸せなことではないだろうか。いずれの世界、いずれの国土にあっても、母が子を慈しむ姿、子が母を慕う姿ほど尊く、美しいものはない。平和の世界ではもちろんのこと、戦火に明け暮れる国土でさえ、母と子の姿は、人々に最高の感動を与えるものだ。
 あの泥沼のごときベトナム戦争の報道を見て、数ある写真のなかで、銃弾を避けて逃げまどう母と子の姿ほど痛ましく、胸に迫るものはない。なんのために、この幸せな母と子を苦しめるのか。戦争さえなければ、おそらく幸福な毎日を送っていたであろうに、何のために、何の目的で、その幸福を奪おうとするのか――。
 その一枚の写真が、これほどまでに、私たちの心を雷電のごとく動かすのは、母と子の幸せを破壊しようとする戦争が、いかに愚かなものであり、断じて許されるべきものでないことを、深く強く訴えているからだ。
 この世で、新しい生命を育てる女性の姿ほど尊く、偉大なものはないと私は思う。一家の繁栄、一族の繁栄といえども、否、社会の繁栄、国家の繁栄、人類の繁栄も、究極は、すべて女性の、そして母の双肩にかかっているといえまいか。その使命は、人間として最高のものであり、わが子を立派に育てていく人こそ、真実の平和国家の建設者であるともいえよう。「わが子を立派に育てることが、最も崇高な価値創造なのだ」――このような誇りをもち、胸を張って、人生を生ききっていただきたいと、私は願っている。
 今、読者の皆さんのなかには、もうすでに母となった人、まもなく母となろうとしている人が、たくさんおられることと思う。すでに母となった人は、今までの生活を一変して、赤ちゃんの世話にてんてこ舞いの毎日であろう。また、まもなく母となる皆さんは、生まれてくる子に、大きな夢と希望が、頭の中をかけめぐっていることであろう。そして、ちょっぴり不安が心の片すみにあるかもしれない。
 世間では、よく「子供を育てて、初めて親の苦労がわかる」という。たしかにそのとおりだと思う。なんの苦労もなく育てられてきた、今までと打って変わって、母親の苦労は経験してみて初めてわかる。その苦労が大きければ大きいほど、喜びも大きいものだ。私は、女性が女性として最高の力を出すとき、女性の本領が発揮されるときとは、母となった人が、新しい生命を全魂をかたむけて慈しみ、はぐくむ時であると思う。また、女性としての本当の美しさを全身にたたえるのも、母となった時ではないだろうか。
 幼子は、母の愛情を一身にあびて、すくすくと成長していく。過日、私は一冊の本を非常に興味深く読んだ。それは人間の脳のことについて書かれたものであったが、それによると、人間の脳というのは、生まれた時はなんのからみ合いもなく、言うなれば真っ白い画用紙のようなものであるという。――それが、ちょうど三歳ぐらいまでの間に、どんどんからみ合いができ、幼児期を終えるころには、一枚の絵が仕上がるように、脳の構造はほぼ完成してしまうのである。
 その後、六歳のころ、十歳のころと、さらに発達し、その後は横バイ状態で、二十歳を過ぎると衰退が始まるという。要するに、人の脳の発達は三歳までに確定し、その後は急激なる変化はないということである。このことは、母親の幼児教育がいかに重要なものであるかを物語っている。幼子の頭の奥深く、真っ白いキャンバスにどのような絵を描いていくかは、ひとえに母親の手腕にかかっていよう。
 最後にもう一つ望みたいことは、どんなに家事に、育児に忙しくとも、ただそれらに流されていくのではなく、自分を見失わず、主体性ある真の自己自身というものを確立していっていただきたいことである。忙しさに流され、己自身を忘失するようであってはならぬと思う。幾歳が過ぎ、子供が成長した時は、すっかり老け込んだ自分を見いだすようでは、これからの近代女性とはいえないであろう。
 いかに多忙でも、力強い生命力を発揮して、すべてをやりきっていく――そして少しの余暇をも見いだして、一日数ページの読書でもいい、向上心を忘れぬ女性に、母親になっていただきたい。そして、やがて中学へ、高校へと進むわが子とともどもに成長していけるような立派な母親になっていただきたい、と心から祈らずにはいられない。

1
1