Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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権力の魔性  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
3  民主主義の政治、社会体制は権力をその本来の姿に戻させる最良の手段である。というより、民主主義は民衆が主人であり、権力は民衆に奉仕すべきものであることを宣言した理念にほかならない。
 その意味で、民主主義の時代を迎えた現代はこの猛獣を鎖につなぎとめる絶好のチャンスである。しかし人々はこのチャンスに遭遇しながら、何をなすべきかを考えず、安閑としているように思われてならない。時に権力の恐ろしさを眼前にしても、ただオロオロするばかりのようである。なかには巧みに権力と結託して利益をむさぼろうとし、ますます権力の魔性を増長させているものさえ見受けられる。
 今もし民衆が主人としての自覚に立ち、猛悪な権力を扱う術を身につけなければ、どのように恐るべき時代、そして事態におちいらぬともかぎらない。たとえば、これを怠ったところにドイツ・ワイマール共和国の失敗とナチスの台頭があったとはいえまいか。しかも、それがいかに恐怖すべき結果を招いたかは周知のとおりである。
 現代の反権力のさまざまな闘争が起きているのも、理由のないことではない。結局、権力が正しく行使されて民衆の幸福のために作用するか、誤って魔性の権力となってしまうかは、それを動かす人物によって決まるのだ。権力をもった人間の傲慢や独善で動かされていくかぎり、民衆の幸福は永久にありえないだろう。権力者の胸底に生命蔑視の思想があるかぎり、民衆の生命の安全すら保障されないであろう。そこに権力の魔性が暴威をふるう温床があるからである。
 過去の歴史は生命蔑視の原則によって貫かれてきたといってさえ過言ではないようである。極端な言い方をすると思う人は、人類の歴史をありのままに見直していただきたい。一見華やかな文化の興隆の陰にも、つねに無名の大衆のおびただしい血と涙が流れていることがわかるはずである。
 生命軽視から生命尊重へという、見えざる理念の世界変革、あえていえば人間生命それ自体の変革こそ最も究極的な革命であり、権力の魔性にとどめを刺すにはこれしかないと思う。
 この急所を外した革命は、かえって魔性の力を増長させ、いたずらに混乱と残酷の流転を繰り返すのみではないだろうか。

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