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日蓮大聖人・池田大作

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レジャーの価値  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
2  この春、私は、上野の博物館で開催されたスキタイ文化の展覧会を見る機会をえた。西暦前七世紀ないし五世紀という数々の遺物は、美の追究に燃えだした人間精神の逞しさを、黄金の燦然たる輝きのなかに生きいきと語りかけている思いであった。
 当時のスキタイ社会は、すでにそれだけのゆとりを高度な生産技術によって生みだしていたにちがいない。考えてみると、人間の文化遺産の大部分は、人々が生きていくための必要条件を編みだす生産活動のゆとりから生まれたものといってよい。
 エジプト、メソポタミア、インド、中国、中南米など、巨大な文化史跡のある地域は、その水準にいち早く到達した社会なのであろう。このいわば余暇活動を指導したものが、古代エジプト神学、バラモン教、儒教、ゾロアスター教、仏教などの宗教であった。言い換えると、これらの思想革命、宗教革命によって生産活動から解放された人々の、その立場、使命にふさわしい人間革命が行われ、輝かしい文化の創造が行われたものである。
 もし、そのような人間性の変革、高揚がなされなかったならば、英知と忍耐を要する創造的な仕事はできなかったであろう。
 だが、当時こうした余暇をもつことができたのは、限られた一部の支配階層のみであったということである。それは主として大多数の民衆の奴隷的な労働の犠牲によって得られたものであった。
 たとえば、すぐれた美術と哲学を生んだ古代アテネにしても、美と真理の追究に没頭した市民の下には、それに数倍する奴隷がいたであろう。エジプトのピラミッドは、十万人の奴隷を駆使して、二十年かかって完成したといわれている。
 そしてこれら余暇階級の精神革命を支えた思想、宗教も、また必然的に王侯、貴族的性格をそれ自体の内にもっていた。
 思想も宗教も、まさに一部の余暇階級のものでしかなかったのである。もちろん余暇そのものもまた、大衆にとっては高嶺の花であったことは言うまでもない。
 近代に入って、産業革命の進行とともに、この事情は急変した。それは近視眼には徐々の変化と見えたかもしれないが、永い人間の歴史からみれば、まさに急転直下といっても過言ではあるまい。しかも変化は加速度的に進行して、かつて一部の特権階層のものであった余暇が、今や大衆すべてのものになろうとしているのだ。
 科学技術の未来に描く青写真は、人間がいっさいの肉体労働から解放された社会をすら望見させてくれる。オートメーション工場の作業が、すでにロボットによって行われ、農業や工業も機械が代行する。家事さえもボタン一つでいっさいの仕事がすまされるような時代も、決して空想の彼方にあるのではないようである。
 すでに述べてきたように、この大衆余暇時代という時代は、なにもこれまでの歴史と切り離された突然変異ではない。人間の文明史の連続的な発展の一つの結果であるにすぎない。
 ただ余暇をかちえたのが一部の支配階層でなく、全大衆であるところに事態の新しさがあるというべきであろう。人々は生産活動から解放されて、自分の自由意思にゆだねられた時間をどう活用すべきか、多くの人はそこにとまどいを感じているようにすら見受けられる。
 ある人は明日の仕事のための鋭気を養う時間にしたいというであろう。この人にとっては余暇は、仕事のための手段にほかならない。ある人は職場で失われた人間性を、レジャーのなかで取り戻したいというかもしれない。
 極端な例では、仕事は手段であり、レジャーを楽しむことこそ生きがいだというものもあろう。私は、このいずれを取るのが正しいかなどと説教めいたことを述べる気持ちはいささかもない。ただ余暇時間の増大している時代の趨勢からいって、余暇をたんに仕事の余りの時間として軽視することは、できなくなることは否定できない。まして貴重な人生の時間を“小人閑居して不善をなす”といわれるような反価値なものにしては絶対にならないと思う。
 あえて一歩進めていえば、大衆余暇時代には、それにふさわしい大衆の人間革命を可能にする宗教思想が求められねばならない。このバックボーンと人間性の変革がなければ、文化の創造的発展はありえないといってもよい。
 すでに、人類が一歩を踏み込んでいる産業社会の未来を人類文化の輝く黄金時代とするか、あるいは腐敗紊乱の泥沼と化するかの分かれ目が、この一点にあるといってもよいのではあるまいか。

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