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日蓮大聖人・池田大作

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大学革命について  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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2  では、その理念は、いったいどのようなものであろうか。
 なによりも、それは、人間存在そのものについて、明快な解決を与える理念でなくてはならないと、私は思う。
 なぜなら、大学それ自体、究極的には人間をつくる場であるからである。しかもまた、現在および未来の社会が、最も切実に求めているものも、ほかならぬ人間の問題に対する明確な教示なのである。
 これまで、この人間の問題について、解決を与えていると、少なくとも信じられてきたのが、キリスト教であった。それゆえにこそ、従来の大学は、中世ヨーロッパの神学研究から出発し、キリスト教への信念によって支えられてきたのである。
 ところが、その伝統に立つ欧米の大学において、旧来のキリスト教思想に対する真っ向からの反逆が、学生たちによって起こされている。その顕著なあらわれが、アメリカの場合、八割近くが経験しているといわれる大学生のヒッピー化である。
 周知のごとく、ヒッピー族の拠りどころとしているものは、そのほとんどが、ヒンズー教や仏教なのである。キリスト教に対する無信仰化の傾向は、ヨーロッパのほうが、さらに強い。
 最近のある調査によると、神の存在を信じないという人は、アメリカでは三割という数であるのに対し、フランスでは七割にも達しているという。
 一方、わが国の大学の場合、こうした理念の存在を認めることは困難であるが、強いて言えば、西欧的民主主義がそれにあたろうか。いずれにせよ、その淵源をたどっていくと、すべて欧米からの輸入であり、その亜流とみることができる。
 今、新しい大学の建設にあたって、私は、かつての神の哲学に代わって「生命の哲学」を求めよと訴えたい。
 人間を尊厳ならしめるために、超越的な“天なる神”を求める時代は終わった。それは、わが生命の内なる尊極の当体を開きあらわしていくことによって、初めて達成されるのである。
 この哲理を、深い思索と科学的実証性をもって説き明かした生命の哲学こそ、二十一世紀への偉大なる文化創造の源泉となることを確信してやまない。
 最後に、大学、ひいては教育の再建のために、政治と教育のあり方について、一言、申し述べたい。
 それは、現在の政界の一部には、政治権力の介入によって大学の再建を図ろうとする動きがあるようだが、それでは、さらに火に油を注ぐことにしかなるまい。真の解決策は、むしろ教育の尊厳を認め、政治から独立することに求めなければならないと思う。
 本来、教育は、次代の人間と文化を創る厳粛な事業である。したがって、時の政治権力によって左右されることのない、確固たる自立性をもつべきである。その意味から、私は、これまでの立法、司法、行政の三権に、教育を加え、四権分立案を提唱しておきたい。

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