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日蓮大聖人・池田大作

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青春への出発  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  私は、きわめて平凡な人間です。政治家でもなければ、実業家でもありません。ただの庶民の一人です。子供のころから、そうでした。小学校でも、中学校でも、特に優秀だなどと言われたことは、一度もありません。そんな、なんのとりえもない私が、前途有望な、中学生の皆さんに参考になるようなことは、言える道理がありません。
 しかし、考えようによっては、平凡な、並みの人間だからこそ、同じ立場で、同じようなことを考えることができるし、おのずから、そこに通じあうものもあるともいえましょう。あえて、ペンをとったのも、そう思ったからにほかなりません。
 私が、皆さんと同じ年齢であったころは、日本がアメリカやイギリスに宣戦を布告し、第二次世界大戦が始まった時代でした。歴史を学んだ人は知っているでしょうが、最初は、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、ずいぶん、華々しい戦果が伝えられましたが、国民の生活は「欲しがりません。勝つまでは」をスローガンに、なにもかも倹約の時代でした。
 それでも、初めのうちは、まだ、いちおう必要なものだけは手に入りましたが、戦争は、しだいに日本にとって不利になり、それこそ、本も、ノートも、鉛筆も、簡単には手に入らなくなってしまいました。今から思うと、私の少年時代は、一番、恵まれなかったころだったといえるようです。後半は、アメリカ軍が東京をはじめ、おもな都市へ、空襲にやってくるようになり、夜など、電灯も思うようにつけられなくなりました。
 家は焼かれ、学校も焼け落ち、私たちは、伸びのびした明るい生活ができませんでした。
 恵まれた環境のなかで、必要なものは、なんでも手に入る、今の中学生の皆さんのなかには、勉強ぎらいで、かえってそんな時代が、うらやましいなどという人もいるかもしれません。しかし、父や兄たちを戦争にとられ、そのうえ、空襲をしかけられて、いつ自分たちも、殺されるかもしれないような毎日は、たいへんな苦しみです。食べるものも、着るものも、満足にないのです。
 あんな苦しいめを、私は、絶対に、今の子供たちに味わわせてはならないと思います。また、それが責任だと深く思っております。そして、今、中学生である皆さんも、やがて大人になった時、けっして、あのような愚かなことを繰り返さない、立派な、力のある人間になってほしいとお願いしたい気持ちでいっぱいなのです。
 人間というものは、本など、有り余るほどあると、あまり読もうという気にならないようですが、ないとなると、かえって、読みたくて、たまらなくなるものです。今は、本や雑誌が、洪水のように出版され、ある意味では活字の中毒のようになっております。まったくぜいたくな悩みです。しかし、当時は、読むものも少なく、読む時間もめったになく、それだけに、勉強もしたい、本を読みたいという気持ちは、だれの心にも強くあったようです。紙の質も悪く、印刷もよくない本でしたが、貪るように読みました。
 皆さんは、自分のおかれた、恵まれた環境を生かして、ぞんぶんに勉強してください。
2  特に中学時代は、人間の一生のなかでも、最も大事な時期だと思います。なんでも、吸収できる年代です。それだけに、悪いことを覚えるのも早いのです。自分の人生が、良い方向に進んでいくか、悪い道に入ってしまうかは、この中学時代の自覚と努力によって決まるといっていいでしょう。
 今の世の中は、感じやすい少年の心を、悪い道にひきずりこむ誘惑も、たくさんあります。反対に、自分で自覚さえすれば、才能を伸ばし、よい方向に、成長していける条件も、いくらでもあるのです。よく、教育ママや、学校の先生は、誘惑に負けてしまうことを恐れるあまり、そういうものを見たり、あるいは、聞いたりすることさえ、厳しく禁じようとすることがあります。
 どちらかといえば、私は、私にも中学生の息子がいますが、自由にさせています。世の中には、いっぱいそんなことはあるので、息子を、そういう悪いものに触れさせまいとしても、できることではありません。むしろ、悪いものに触れても、それに染まらない、強い心を、もたせることが大事だと考えるからです。
 成長期にある、人間の好奇心というものは、抑えようとしても、抑えきれるものではありません。かえって、抑えれば、抑えるほど、激しくなるものです。戦争中の、恵まれなかった私たちが、勉強したくてたまらなかったのも、その一つのあらわれでしょうし、それは、いつの時代も、変わらないものだと思います。好奇心が、強いからこそ、人間は、成長するのであって、それを抑えるやりかたは、間違っているというのが、私の信条です。
 大切なことは、そういう悪いもののために、自分を見失って、おぼれてしまうことの絶対にないよう、強い心を、もつことだと思います。また、たとえ、ちょっと誘惑に負け、過ちを犯したとしても、決して、くじけないことです。
 程度の違いこそあっても、人間であれば、だれだって、過ちを犯したり、失敗したりするものです。昔から、七転び八起きという、言葉がありますが、何度、失敗しても、そのつど立ち上がっていこうとする人間の強さ、人生の生き方を、たとえた名言です。
 そして、そうした失敗を通じ、人間は、経験という、最高の人生の財産を、自分のものとし、いっそう強い、人間になっていくことができるのです。
 私は、かわいい皆さんが、一人残らず、失敗の苦しみなど、味わわないで、幸福な人生を歩んでいかれることを願っております。しかし、人生には、いろんな障害が、待ちうけており、順調な人生を歩める人は、実際にはいないともいえるのです。だからこそ、私は、あえて、皆さんに、強い人間になってほしいと言いたいのです。
 また、決して、失敗した人を、バカにしないことです。失敗し、苦しんでいる人を、励まし、早く立ち直れるように、手をさしのべてあげるような、温かい心の持ち主であってほしいと思います。この、温かい心こそ、人間であることの条件ではないでしょうか。
3  不幸な人にこそ、最も心をくばり、幸せになっていけるよう助け合っていく。人間の理想社会というものは、このような、温かい心を、みんながもったときに、初めて実現されるのだと思います。
 未来の世界が、戦争や、飢えや、貧困、公害などのない、本当に平和で、幸福な社会になれるかどうかは、やがて、その時の世界を、担っていく、今のかわいい、皆さんの心にあるのです。
 空襲に明け暮れた戦争。インフレと、衣食住に苦しんだ戦後。私たちの青少年時代は、たいへんな一日一日でした。そんななかで、今も、忘れられない、美しい思い出は、人々の親切な、思いやりの一つ一つです。雨のように降る焼夷弾で、家が焼けてしまったときに、寝るところを貸してくださった人、お米や、みそを分けてくださった人……そうした人々の、やさしい思いやりは、一生涯、私の胸に、灯火のように、光り輝くことでしょう。
 それ以来、私は、この世で最も美しいものは、人間の温かい心であり、この社会にあって、人間は、互いに愛しあい、守りあい、助けあっていくべきだと信じております。また、この信念を、貫いてきたつもりです。一生涯、貫いていこうと決意もしております。
 最後に、皆さんのなかには、学校の勉強の得意な人も、苦手な人もいることでしょう。初めに言いましたように、私も、決して、勉強は得意のほうではありませんでした。
 今の学校教育では、勉強が得意か、苦手かで、すべてが決まってしまうような傾向がありますが、私は、それは正しいあり方ではないと思います。もちろん、学校では、勉強が、できることがなによりも大事でしょうが、この世界は、それだけで人間の価値が決まるわけでは絶対にありません。世の中には、いろんな職業があるように、いろんな才能をもった人が、それぞれに働き、認められるようになっているのです。
 ですから、今、勉強が苦手だからといって、決して、がっかりする必要はありません。過去の、世界的な人物をみても、かならずしも、学校で成績が優秀であった人ばかりとはかぎりません。イギリスのチャーチルなどは、まったく勉強が苦手だったといわれます。ただ、大切なことは、自分の人間としての成長に真剣に取り組んでいくこと──これだけは、決して忘れてはならないと思います。
 人間らしい心を大事にし、体を鍛え、苦しいことがあっても、くじけないで乗りこえていく、本当の勇気をもつことです。それが、人生で最も大切なことであると思いますし、中学時代は、その人生の基礎をきずく時期だと考えます。

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