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日蓮大聖人・池田大作

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遊びと健康と  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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3  ここらで、都市におけるスポーツのための環境づくりを抜本的に考慮し立案する時期が、すでに熟しきっていると、私は言いたい。都市の繁栄も結構ですが、見かけだけの繁栄に目が眩んで、そこに住む市民の体が、いつとは知らず退化するようであっては、なんの繁栄かと言いたいのです。繁栄のゆえに、人間の体の衰弱を放置しておくとしたら、それは呪わしい繁栄としか言いようがありません。営々として、今日の文明を築いてきた人類にとって、これほどの悲劇はないでありましょう。
 公害対策も、たしかにしなければならない緊急課題です。しかも、容易ならぬ課題ですが、それと同じ緊急の重さをもった課題として、もう一つ、この都市の健康対策が、単に衛生保健などの消極的対策ではなく、つまり体の遊びによる積極的対策として熟慮のうえに果たされなければなりません。さもないと、公害は心配なくなったという時代がきても、都市の人間は年少にして生命力を失い、肉体的に退化した文明人の標本になることが必至でありましょう。
 こんなことは私一人があれこれ、いくら気を揉んでも、現状の悪化は早急にどうなるものとも思えません。私も都市に住むものの一人として肉体の退化を恐れて、私なりの工夫を余儀なくされました。そこで、こんど建てたビルの地階に、やや広い駐車場ができたのを幸いに、昼休みで車のないときを見はからって、私は、その一隅を仕切って、洋弓をすることにしました。昼休みのひと時、私はそこで弓を引いて、ささやかな体力の鍛錬に励んでいます。五十本から百本の矢を射り、それが標的に当たって、どのような点数になるか、日々の緩慢な進歩を楽しみつつ、職員にもすすめて大いに競技的な興奮さえ味わっています。地下室には、あの砂浜の闊達な自由はありませんが、それでも地下室に、こんな楽しみがあろうとは、今まで考えもつかぬことでした。
 しかも、本来が駐車場であってみれば、やがて車の増加で、仕切られたこの臨時スポーツ・センターの運命も、早晩、どうなるものともしれません。かつての砂浜を失ったように、またこの地階の弓場をも失うでありましょう。余儀ないことですが、その時はその時で、またなにかひと工夫しなければならぬと考えております。
 地階の洋弓は、窮余の一策ですが、都会の住人にとっては、まだまだ工夫の余地はあります。衆知を集めれば、さらに有効な手段も発見されるでしょう。“必要は発明の母なり”という諺がありますが――切実な願いほど、知恵を生むものはありません。体の遊びを失ってしまった都会の住人が、それぞれ切実な願いをもって工夫する時、その願いの集中は、いやでも都市環境の抜本的な改造へと、具体的な進路をとるにちがいありません。それは強力な世論となり、都市は、やがてこのことに莫大な費用を覚悟して、健康のための環境改造に実際的な一歩を踏みだすことでありましょう。
 計画は、だれでも夢想することはできます。人々の夢を現実化すべく、万難を排して進む一人の実行家こそ、今の都市に切実に求められているのではないでしょうか。
 体の遊びなくして、人間の健康は保持できません。あまりにも分かりきったことであるがゆえに、人はしばしば忘れて、その日を過ごし、晩年の悔いとなるのです。生きている以上、人間は、つねに溌剌としているべきであるし、そのような権利も当然としてもつべきだと、私は思うのです。

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