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日蓮大聖人・池田大作

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遊びと健康と  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  正月になると、私は決まって、羽田の海岸べりで、凧あげに夢中になった少年のころを思い出します。
 海岸の砂浜に出てみると、正月の晴れ着を着た大勢の子供たちが、手に手に凧の糸をにぎって、いっせいに顔を空に向けています。無数の凧は、北西の風にのって、ぴんと糸を突っぱりながら、空で互いにあいさつを交わしています。大凧、中凧、小凧、奴凧――それぞれ違った絵柄を競い、高く低く、思い思いに空に浮かんでいる。なかには、もの凄い唸りを発し、あたりを圧している唸り凧もあります。
 私は、数多くの凧の群れのなかに、自分の凧の存在を主張しようと、風にのせることに心を砕く。ちょっと強い風の吹く気配をみてとると、凧をかざしながら風に逆らった方向に、砂浜をけって駆けだします。凧は尾をひきずりながら、ちょっと舞い上がったかと思うと、たちまち落ちる。失敗。また、風の気配を察して駆けだす。凧は舞い上がりかけたが、こんどは友だちの凧の糸にからまりはじめる。友だちは大声でわめく。駆けることをやめなければならない。凧は落ちる。残念。場所をかえる。また、風の気配をうかがって、こんどは懸命に砂浜を駆ける。右に左に凧はためらいながら、やっと空に舞い上がる。しめた! これでよい。そろそろと糸をくりだす。そのうちに凧が糸を引っぱる。するすると糸巻はほどける。空高く舞い上がった。もう落ちる心配はない。
 ここで少年の緊張は終わった。冬の日射しのなかで、汗をびっしょりかいています。空に安定した凧。少年の手にしっかとにぎった糸の感触。――糸をちょいちょい引っぱると、空の凧はそれに応えるように、体をよじって会釈する。少年の喜悦の瞬間です。
 この凧三昧の歓喜の一瞬を味わうために、少年は凧の油断のならない左右の均衡を確かめたり、尾の長さを測定したりする。そして糸の強さをためしてみたり、さまざまな準備に没頭し、苦心を繰り返すのです。準備は完全でも、果たして舞い上がるかどうか、凧あげの一瞬にすべてを賭けます。――苦心の末に喜悦があるわけで、凧あげにかぎらず、すべての遊び、一般にスポーツといってもよいのですが、そこにはそれだけの準備と習練を必要とし、この必要度が強ければ強いほど、歓喜もそれに比例して大きいということがいえそうです。
 さて海岸の砂浜も、陽は西に傾いて、暮色が忍びより、海の色がくろずんできます。あちらでもこちらでも、糸を巻いて凧を下ろしにかかります。愉しい一日であった。糸を巻くのを惜しみながら、それぞれ下ろした凧を抱いて、明日の晴天を祈りつつ三々五々家路をたどる。一日大気を思いきり吸い、寒風に頬を真っ赤にした少年たちは、家に着くと、途端に激しい空腹を訴えます。夕餉の膳を待ちかねて、餅や蜜柑を頬ばって、一時の飢えをしのぎます。
 都会の子供の遊びにも、その当時、なんという健康さがあったことか。――今その砂浜の跡に立ってみると、砂浜は消えて、コンクリートの防波堤が蜿々とつながっている。青かった海は、すっかり色を失い灰黒色の波が防波堤を洗っている。凧が遊んだあの空は、いったいどこにいってしまったのか。対岸の房総半島は煙って見えない。あるのは重苦しい厚いスモッグの空だけです。砂浜は埋め立て地となり、その上にぎっしり工場が立ち並び、黒い煙を吐きつづけています。
 これは、変転のほんの一例としての風景ですが、都会の子供は、いつか凧あげなどという素朴な遊びすら失ってしまった。遊びを失っただけではなく、健康までも失いつつあります。あの正月の食欲、遊びつかれた後の熟睡、子供はそれらをすべて失ってしまい、今は食欲不振と喘息が都会児の持病となってしまっています。
 考えてみると、凧を失ったのは、これよりずっと以前のことでした。戦時中、凧にかわってB29が、毎夜東京の空をわがもの顔に飛んでいたころには、もはや海岸の砂浜には凧は消えていました。学童の疎開によることもあったでしょうが、凧をつくる職人が戦線に行ったのか、紙などの材料がなくなったのか、正月がきても、砂浜には凧の姿が消えてしまっていました。戦争も子供のささやかな遊びを奪っていたのです。
 戦争と戦後の物資の欠乏――それがやがて経済成長の躍進となったものの、あの砂浜の凧の歴史は、いつか私の記憶のなかに残るだけになってしまいました。
2  凧はあくまでも一例です。都会の子供の遊びについての表徴的な一例にすぎませんが、問題は都会の子供の健康の衰退にかかわっています。子供ばかりではない、大人だって同じです。日夜勤労に励まなければならない大人の健康というものを考えるとき、都会の住人の苦悶はさらに深刻となってきます。
 苦悶の住人たちは、ひところ、栄養剤を求めて薬屋に殺到しました。勤め先への行き帰りに、薬屋の店先で栄養剤をコーヒーのように飲む人の姿が多く見受けられました。ところが、これら栄養剤のブームも、アメリカで多数の種類の栄養剤が製造禁止となったことが伝わってくると、いつか立ち消えになろうとしています。薬公害という言葉さえやかましく言われて、世間の薬好きを落胆させていますが、効きめはともかく、まず無害と思われた栄養剤まで疑わしいとなると、問題は絶望的な状態に落ちたわけで、さらに深刻になったといわねばなりません。
 現代の都会生活のなかで、人間の健康の保持ということは、それこそ歴史上未曾有の危機に際会しているといったら、誇大にひびくでしょうか。事態は言葉の表現などにかかわっていられないほどの緊急さに、変わってきたように思えてなりません。
 栄養の補給の必要は、成長期の子供の成育を促進することと、また大人の体力の衰退を防止することにあるわけですが、運動不足、つまり体の遊びが都会では思うにまかせなくなってくると、どうしても薬にたよらざるをえないわけです。その栄養剤がダメになると、やはり体を運動させることに目を向けなければなりません。
 もともと人間の体は、胃腸や肝臓その他の内臓器官の作用が、おのずと製薬工場の働きをしていて、ビタミンやホルモンなどを製造し補給するようにできています。しかし、運動不足から、これらの器官の作用が鈍化し、活力を失いつつある現状からは、製薬工場の活動は不活発にならざるをえない。都会生活者の健康は、勢い日に日に蝕まれているのです。しかも、戦中戦後の食糧の欠乏時代とはちがって、米をはじめ食糧は余るほど出回っている時代となってきましたが、都市生活のストレスや恐るべき公害の続発などが、運動不足に輪をかけて、人体の製薬工場の機能を、目に見えぬところで麻痺させてきています。
 健康保持の工夫は、どうしても体の遊び、スポーツ一般に向かわなければならなくなりました。――万歩計を腰にぶらさげて、一日一万歩の運動なども、その工夫のあらわれの一つですが、交通地獄の都会で散歩にふさわしい道など滅多に見つかるものでもありません。自動車の排気ガスの公害を恐れ、ニューヨークの市長は自転車通勤を実行し、交通公害を追放する一助としているそうですが、遠距離の通勤者の多い東京などでは、せっかくの名案も実行不可能です。
 だれでもスポーツは好きです。ところが、もう過剰人口の都会には、市民のスポーツを楽しむ場所はまったくなくなってしまいました。子供は遊び場を失い、日曜の交通遮断の裏道路が辛うじて残った遊び場です。マンモス大学のなかには、運動部員の練習にすら順番を待たなければならないものもあると聞きます。ゴルファーやハンターとなると金がかかって、とても一般市民の体の遊びにはなりません。せめて休日に観光地へどっと溢れでるくらいが、健康な遊びとなっています。しかし、その日の観光地の混雑は、都会の混雑をそのまま移しただけにすぎません。休日のせっかくのレジャーをもてあましているのが現状です。
 いったい一般の勤労者は、体の遊びを、どこで行っているかと考えをめぐらしてみると、通勤時のラッシュアワーに、電車やバスの乗り降りに、人を押しのけ悪戦苦闘して命がけでもがくときが、一日のうちで最も体を鍛える時となりそうです。これは笑えぬ現実です。スポーツとは言いがたいが、せめて体の筋肉を精いっぱい、働かせる時は、こんな時しかないということは、一般勤労者の侘しさとして、悲しむべき実情です。
 もはや食糧には事欠かない。レジャーもできた。しかし、都会の住人は、健康を脅かされて、その日その日を漫然と送っている。このままの状態では、都会生活者はほとんどの人が、なんらかの病人となりかねません。それでなくとも、日本列島を覆っている公害の深刻さは、一億の公害病患者を数十年のうちに生みそうです。
 切迫した――この情勢のなかで、公害対策が焦眉の課題として練られていますが、健康保持の積極策としての体の鍛錬の施設に関しては、ほとんど無関心に無視されているといってもよい。特に、都市におけるこれらの対策は、まことに貧弱きわまるもので、どこかのテニス・クラブに入会したいと希望しても、どこも満員で、入会の許されるのは何年先のことか見当もつかないのが現状です。
 今、都会の住民が切望しているスポーツ施設をつくるとなると、それこそ莫大な費用を必要とするでしょう。だれでもが、気楽に行けて、何人でも好きな仲間でスポーツを楽しめるような都市環境(スポーツ・センターなど)をつくるとなると、年々の激しい人口増加率も考慮に入れなければなりません。緑地帯を失った都市は、いきおい室内スポーツ・センターを幾つも幾つもつくらなければなりません。こうなると都市の予算は破産してしまうでありましょう。
 すると都市の、体の遊びは――実に莫大な金を必要とすることになってきました。スポーツも金で買わなければならなくなりました。私の、少年時代のころの凧あげは、素朴なスポーツの一例として、なんともいえぬ郷愁をさそいます。古きよき時代への単なる郷愁ではなく、スポーツそのものへの一つの郷愁です。昔を知らぬ今の少年たちは、こうした遊びに渇望しているにちがいありません。
 戦後、急速に伸びてきた体格も、身長と体重のバランスを失いつつあります。青少年の体格のグラフは、ますますバランスを失った妙な下降線をたどるでしょう。大人の老化現象も拍車がかかることにならなければ幸いです。
3  ここらで、都市におけるスポーツのための環境づくりを抜本的に考慮し立案する時期が、すでに熟しきっていると、私は言いたい。都市の繁栄も結構ですが、見かけだけの繁栄に目が眩んで、そこに住む市民の体が、いつとは知らず退化するようであっては、なんの繁栄かと言いたいのです。繁栄のゆえに、人間の体の衰弱を放置しておくとしたら、それは呪わしい繁栄としか言いようがありません。営々として、今日の文明を築いてきた人類にとって、これほどの悲劇はないでありましょう。
 公害対策も、たしかにしなければならない緊急課題です。しかも、容易ならぬ課題ですが、それと同じ緊急の重さをもった課題として、もう一つ、この都市の健康対策が、単に衛生保健などの消極的対策ではなく、つまり体の遊びによる積極的対策として熟慮のうえに果たされなければなりません。さもないと、公害は心配なくなったという時代がきても、都市の人間は年少にして生命力を失い、肉体的に退化した文明人の標本になることが必至でありましょう。
 こんなことは私一人があれこれ、いくら気を揉んでも、現状の悪化は早急にどうなるものとも思えません。私も都市に住むものの一人として肉体の退化を恐れて、私なりの工夫を余儀なくされました。そこで、こんど建てたビルの地階に、やや広い駐車場ができたのを幸いに、昼休みで車のないときを見はからって、私は、その一隅を仕切って、洋弓をすることにしました。昼休みのひと時、私はそこで弓を引いて、ささやかな体力の鍛錬に励んでいます。五十本から百本の矢を射り、それが標的に当たって、どのような点数になるか、日々の緩慢な進歩を楽しみつつ、職員にもすすめて大いに競技的な興奮さえ味わっています。地下室には、あの砂浜の闊達な自由はありませんが、それでも地下室に、こんな楽しみがあろうとは、今まで考えもつかぬことでした。
 しかも、本来が駐車場であってみれば、やがて車の増加で、仕切られたこの臨時スポーツ・センターの運命も、早晩、どうなるものともしれません。かつての砂浜を失ったように、またこの地階の弓場をも失うでありましょう。余儀ないことですが、その時はその時で、またなにかひと工夫しなければならぬと考えております。
 地階の洋弓は、窮余の一策ですが、都会の住人にとっては、まだまだ工夫の余地はあります。衆知を集めれば、さらに有効な手段も発見されるでしょう。“必要は発明の母なり”という諺がありますが――切実な願いほど、知恵を生むものはありません。体の遊びを失ってしまった都会の住人が、それぞれ切実な願いをもって工夫する時、その願いの集中は、いやでも都市環境の抜本的な改造へと、具体的な進路をとるにちがいありません。それは強力な世論となり、都市は、やがてこのことに莫大な費用を覚悟して、健康のための環境改造に実際的な一歩を踏みだすことでありましょう。
 計画は、だれでも夢想することはできます。人々の夢を現実化すべく、万難を排して進む一人の実行家こそ、今の都市に切実に求められているのではないでしょうか。
 体の遊びなくして、人間の健康は保持できません。あまりにも分かりきったことであるがゆえに、人はしばしば忘れて、その日を過ごし、晩年の悔いとなるのです。生きている以上、人間は、つねに溌剌としているべきであるし、そのような権利も当然としてもつべきだと、私は思うのです。

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