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日蓮大聖人・池田大作

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私の家庭  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
1  家庭ということを考えるたびに、私は、いつも思い出す言葉がある。
 「その世界が家庭の内部にある人は、幸いである」(『ゲーテの言葉』高橋健二訳、弥生書房)と。
 ゲーテの言だが、人間味のある、なかなか含蓄深い言葉だと思う。古今の英雄といわれ、文豪、富豪と呼ばれる人のなかに、生涯、家庭に恵まれず、平和を見いだせなかった人が多い。そんな人の伝記を読むとき、輝かしい栄光も鉛色の鈍い光となり、言いしれぬ人間としての痛ましさが、胸に込みあげてくる。
 激動する社会に、多忙な毎日を送っている人にとっては、職場や社会は、あたかも戦場のようなものだ。始終緊張の連続のなかから、やっと解放されて、平和な憩いを味わえるのは、家庭に帰った時である。そこで再び、神経をすりへらすような、冷戦状態が始まったのでは、人生たまったものではない。
 私も、多忙な毎日のなかで、わが家の有り難さを人一倍感じている一人である。家庭の温かさを考える時、いつでも思い出すのは、恩師が、結婚式の時、与えてくれた祝辞のなかの一節である。
 「男は力をもて――妻が望むことは、なんでも叶えてやれるだけの力をもたねばならぬ。また、新婦に一つだけ望みたいことがある。それは、主人が朝でかける時、晩帰った時には、どんな不愉快なことがあっても、にっこり笑って、笑顔で送り迎えをしなさい」
 平凡といえば、平凡な教訓だが、いざ実行にうつすとなると、なかなか至難なことである。時がたつにつれて、これほど人生の機微をついた、味わいのある家庭生活の教訓はないと思うようになった。
 家庭の基本になるのは、なんといっても、夫婦の人間関係にあると思う。それは、核家族であろうが、大家族であろうが、少しも変わるものではない。
 そう言うと、当たり前のことではないかと、言う人がいるかもしれぬが、その当たり前の基本が、実際の家庭生活では、あんがい忘れられているのではないだろうか。
 早い話が――呼び名の問題である。子供が生まれると、たちまち、夫は「パパ」か「お父さん」に変わり、妻は「ママ」か「お母さん」に変わってしまう。夫であるとともに、父親であり、妻であるとともに、母親であることには間違いないのだから、なにもそう呼ぶのが悪いわけではない。
 私が言いたいのは、パパやママになりきってしまうところに問題があるということだ。この呼び名の変化は、単なる名称変更だけではなく、家族の中心が、夫婦から子供に移ることを意味している。
 特に女性の場合、子供が、一切の中心になり、それまで夫に向けられていた愛情が、そっくり子供に移ってしまいがちである。そのころから、笑顔の送り迎えも、とだえがちになる。
 さらに、年月がたてばたつほど、その傾向は顕著になっていき、ついに夫の地位は、単なる、給料運搬人になりさがりかねないのである。
2  最近、離婚率が高くなり、五分四十五秒に一組の割合で、離婚しているという話を聞いた。離婚という、破滅にまでは至らなくても、こんな姿がつづけば、夫婦の断絶が起こりやすくなるのも当然だといえよう。「行き詰まったら、新婚の当初に帰れ」という言葉も、その間の道理を説いた言葉として、受けとめるべきであろう。
 西欧の小説と日本の小説を読み比べてみると、日本人の恋愛は、苦難の末に、結婚にたどりつくまでの物語が多いのに対して、西欧には、意外と結婚してからの物語が多いのに気づくにちがいない。言いかえれば、日本では、結婚がハッピーエンドで、それからの先の、家庭生活からは、大ロマンが生まれてこないのである。
 それは、従来、日本の家庭が、閉ざされたものであり、それに比べて、西欧の家庭は、開かれたものであったところに原因の一つがあるともいえよう。だからといって、西欧の家庭がすべてそうだと礼賛するつもりはない。
 アンドレ・ジイドは『地の糧』の中で、「家族! 私はお前も嫌う! 鎖された家庭、しめきった扉」(今日出海訳、新潮文庫)と言っている。ジイドの言葉を待つまでもなく、閉ざされた家庭の弊害は、あまりにも大きい。社会への無関心から、わが子の教育にいたるまで、多くの不幸をもたらす因となるといえよう。
 思うに、閉ざされた家庭の悲劇は、女性の側に被害が大きい。主婦の座は、昔から嫁 姑 が激しい家庭の主導権争いの末、いずれかが占拠した。座敷牢の牢名主といえば酷評すぎるが、その座を占めることによって安心し、社会との没交渉が一向に気にならなくなってしまうのは、なんと愚かなことではないか。
 新しい家庭像を考える時、この夫婦というヨコ糸と、親子というタテ糸を、うまく織りなしていかなければならない。ヨコ糸が弱くても、タテ糸が弱くても、織りあがった布はゆがんでしまうし、ほころびやすい。夫婦も、親子も、お互いに自己を犠牲にして、家庭を支えるという観念はもつべきではないと私は思う。もちろん、利己主義であってはならないが、苦楽ともに、それぞれのよき理解と協力のうえに立って、すべてを人間としての成長の素材と考えるべきであろう。
 子供の成長に、親のすべてをかけるのではなくて、子供の成長とともに、夫婦の愛情もいよいよ成人の愛情として磨きがかかっていくべきであろうし、それが、そのまま美しい家庭環境を築きあげていくことになると思う。
3  わが家には、三人の子供たちがいる。高校三年の長男を頭に、育ち盛りの男ばかりである。私は、親として、子供をこう教育しようなどということは、あまり考えないことにしている。だいたい、親は子供を教育することは不可能だと思っているからだ。教育は、他の人にお願いするのが正しいと思う。ただ、家庭としては、子供が伸びのびと成長できる愛情に包まれた環境にしておくことは必要である。そのため、わが子を、一個の人格として認め、一人の人間として接する姿勢だけは、崩さぬよう、つねづね心掛けているつもりである。
 わが子の何気ない一言から、大人もおよばないような「鋭さ」を感じとってハッとさせられることがある。子供は親の想像をはるかに超える勢いで大人への脱皮を急ぎ、知らない間に魂の成長を遂げているのだ。乗り物でもレストランでもいい。母の膝を離れて「一人前」の席を与えられた時の、生きいきとした子供の表情に、私も幾度となく接したことがある。
 子供の心理というものは、そういうものだということは、みずからの体験でも思いあたることがあろう。反対に、子供扱いされたときの悔しさは、相手の人格に対する評価として、いつまでも残っているものであるようだ。
 私は、子供たちを呼び捨てにはしない。なるべく「クン」づけで呼ぶことにしている。はたして「クン」づけがよいかどうかは、にわかに断定しかねるが、少なくとも、そう呼ぶことによって、子供たちが、親の子である以前に、一個の人間としての自覚に立ち、主体性をもって生きぬいてもらいたいという――ささやかな願いをこめた、愛情の表現だと思っているからだ。
 長男と、次男は高校に通うようになったが、私は、どの子供に対しても、「勉強しろ」ということを、やかましく言ったことはない。
 それでも、成績のよし悪しは別として、結構、自分でやっている様子である。妻が、そうしつけているのかというと、これも特別にあまり言わないらしい。とにかく、子供たちは、やりたいようにやっているようだ。
 あまり子供の面倒をみてやれない父親としては、有り難いかぎりであるが、それでも、誕生日の贈り物には、幼いころから、本や万年筆など、学習に関係あるものを与えるよう心掛けてはきた。
4  小学生の三男にとって、高校生の長男と、次男は、もはや遊び相手にならないらしい。いきおい、たまに早く帰った親父は、格好の相手であるらしい。
 ある時、タバコをくわえて、マッチを捜していると、突然、三男にピストルを突きつけられた。無防備のうえに、不意打ちではかなわない。完全にホールドアップ、両手をあげようと思った瞬間、「ドカン」とピストルが文字通り火を噴いた。見ると、ピストルの形をしたライターだった。目を白黒させる親父を尻目に、“してやったり”と笑いころげる。変哲もない話だが、そうした子供の、伸びのびとした振る舞いが、親にとっては一番うれしいものである。
 この三男は、末っ子ということもあって、わが家の王様である。この王様、だいぶ以前から、天体に凝りだしたらしく、夜になると望遠鏡をのぞきこんで離れない。妻は、早く寝かせようと苦労するらしいが、一度や二度の警告では、とても耳をかさぬようである。
 望遠鏡をせしめるときが、またたいへんだった。望遠鏡といっても、小学生が欲しがるのだから、二、三千円くらいのものでもと、たかをくくって、買い物に応じたのが妻の失敗だった。予想したものより数倍もの大きな望遠鏡を、売り場で目ざとく見つけた王様は、その前を、一歩も動こうとしなかった。動かないどころか、しまいには、その前に座りこんでしまった。要求貫徹まで座りこむ労組顔まけの実力行使である。
 こうなると、なるべく安く済ませようとする賢母の説得も、経営者のそれに似て合理性を欠き、サッパリききめがない。結局、妻は、妥協せざるをえない羽目に追いこまれてしまったという。
 大得意の三男坊は、それからというものは、星が出ると、望遠鏡にかじりつきだした。初めのうちは、どうせ三日坊主だろうと思っていたが、どうしてどうして、それから、かれこれ二年余りもつづいている。子供のすることだからという気持ちが、どうも抜けなかったこちらが、今では反省させられ、根気のよさに、むしろ頼もしさを憶えている。
 彼を、魅了した原因は、どうやら土星にあったようだ。買って、まもなくのぞいていた天体望遠鏡で、土星の環を発見したのが、やみつきになったものらしい。彼にとっては、少なからぬ驚きであり、感動であり、きわめて神秘なものに映ったにちがいない。
 子供のころ、一度、脳裏にやきつけられたものは、決して忘れないものである。人間の一生を考える時、それを決定づけるのは、少年期のわずかなきっかけによる場合が多い。科学者も、政治家も、芸術家も、身近な環境のなかで、ほとんど偶然にちかいチャンスが、その人の心に大きな影響を与えていく。
 私は、子供が、将来何になるかは、まったく、子供たちの自由意思でよいと思っている。それが、どういう方向のものであるかは分からないが、伸びようとする若い芽を、まっすぐに成長させてやりたいし、その環境づくりだけが親の役目だと思っている。いちおう高価な望遠鏡ではあったが、夢中になって、夜のふけるのも忘れて、星を捜す姿を見ると、決して高い買い物ではなかったと思うのだ。清らかな、悠久の星の光が、彼の心に焼きついて、生涯、輝きつづけていくにちがいないからである。
5  「王国を統治するよりも、家庭内を治めることのほうがむずかしい」とは、古来からの格言である。
 一国の繁栄の柱が、経済であるとすれば、家庭においても同じことがいえよう。最近の物価高騰を思うと、どの家庭でも、家計は決して楽ではない。主人の持って帰る給料は、つねに物価の上昇に追いつかない。そこから、自然に妻の愚痴がでて、家庭を暗くする因となってしまう。
 たしかに、限られた経済条件のなかで、家計をやりくりするのはたいへんなことである。ではいったい、豊かな家庭生活とはなんであろうか。果たして、経済的条件さえ満たされ金さえかければ、幸福な家庭が築けるであろうか。経済発展によって、しだいに恵まれてくる未来社会にとって、つねに問題として提起されるのがこのことである。
 ――物質と精神を、どう調和させるかという文明の課題は、実は、足もとの家庭生活の問題から始まるといっても、過言ではあるまい。
 先日、久しぶりに早く帰宅した。私の姿を見て、子供たちは、なにやら慰労し、歓待するための催し物を考えだしたらしい。居間の気配が、いつもと違っている。
 やがて、呼ばれて行ってみると、壁一面に敷布のスクリーンが掛けられている。どうやら、8ミリ映写会をやろうというのだろう。観客である私のために、家中総動員で設営した様子であった。そういえば、子供たちが旅行に行った時、親類からいただいた8ミリで、あちらこちらの風景を、撮してきたという話は聞いていた。
 上映開始を待つ時間は、にわかづくりのスクリーンをしげしげと眺めるしかない。狭い家ではあるし、一生懸命苦労して、吊った努力は、ほほえましい。そのなかで、敷布を吊った無粋のヒモに、遠慮がちに、小さなリボンの花が結んである。なにか買い物の包装に使われたリボンらしいが、にわかづくりをいかにもはじらうような、ほのぼのとした温かさが感じられていかにも可愛らしい。
 電気が消されて、スクリーンに子供たちの傑作が、つぎつぎと映しだされていった。そんななかでも、そのリボンの印象は、私の脳裏からなかなか消えなかった。あとで聞いたところ、子供たちの発案による映画会だったが、リボンだけは、妻の発案であったという。
 家庭に、価値創造がなければ、楽しさはないと思う。それは、物の豊かさとは、まったく質の違った、心の豊かさともいうべきものであろう。
 一枚の見なれた絵でも、時々置き場所を工夫すれば、家の中が一変し、みずみずしく新鮮になる場合もある。家庭の愛情も、決して観念にとどまるものではない。かならず行動をともなうもので、なんらかの形となって表現されるものである。
 それは、たとえ家中が揃う、一家団欒の時間が少なかろうと、そのわずかの時間を、数倍の価値あらしめるものにすることができると思う。また、そうした珠玉のような、思い出をつくりだしていける家庭こそ、子供たちにとっても、なによりの財産であるといえまいか。

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