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日蓮大聖人・池田大作

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人間として生きる  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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3  江戸時代中期の碩学である佐藤一斎の言葉に「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」という有名な一句があります。自分に対する厳しさを教えた名言であり、私も、この文句が好きです。多少、道徳めいてはいますが、現代の慌しさのなかに、盲点となっているものを鋭く突いているように思えてなりません。
 自分を見つめるということは、本当に、こわいことかもしれません。むしろ、自分の心には帷をおろして、なるべく自分でも見ないようにするほうが安心でもありましょう。その間に、いつか若々しかった心も錆びついてしまい、醜いものとなっているものです。
 たとえ、どんなに忙しくとも、勇気のいることであっても、自身を反省し、磨いていく心のゆとりだけは、もちたいものです。
 その反省は、内に沈んでいくものではなく、家庭を基盤として、社会に目を開いていく方向であるべきでしょう。
 いうなれば、家庭も、一つの共同社会です。互いに、尊い存在として信頼しあう関係を深めていくように、舵をとっていただきたいのです。それ自体、すでに閉じた家庭ではなく、開かれた家庭といえるでしょう。
 アメリカで、ウーマン・リブの運動が高まりましたが、それは単に女性としての権利の要求にとどまらず、人間として生きようとする切実さがあるように、私には思えます。意外と考える人もいるかもしれませんが、アメリカの女性の地位は決して高くはないようです。日本では、たいてい、財布のヒモは、主婦の手にまかされていますが、アメリカでは、男性がガッチリ握っているのが実情だといいます。アメリカにおける女性の地位は、極言するならば、日本の明治時代に相当すると言う人までおります。
 日本には、封建性に対する強い反発があり、敗戦による古い価値観の崩壊が、ともかく女性の地位に大きな変革をもたらしました。もちろん、これは、概括してそう言えることで、個々の家庭は、色とりどりであるにちがいありません。
 ただ、少なくとも、これだけは言えそうです。それは、本当のウーマン・リブは、女性だからという甘えた気持ちでなく、女性みずから人間としての強い自覚に立ち、人間として生きることの尊さを、各家庭のなかに実現していく以外にない、ということです。家庭という真珠貝の核は、ほかならぬ主婦の「人間」であり、そこに美しい和楽の珠が形成されていくと思います。
 大げさなことを言うようですが、家庭という共同社会には、人類という共同社会の縮図さえあるのです。その核となるものが「人間として生きる」という素朴な命題なのでしょう。

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