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日蓮大聖人・池田大作

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美に生きる  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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3  例を家具にとっては恐縮ですが、日本古来の家具には、その材質が内に秘めた美しさを生かし、磨きをかけたものが多い。名匠の目は、一つ一つの素材を、あたかも生命あるもののごとく見つめ、その秘めたる美を、見事に活かしてきたのでありましょう。それは木の生命、石の生命、鉄の生命が、おさまるべきところに、立派におさまって、本来、もっている美を存分に主張しているようです。日本人の知恵は、そうしたところに、美を発見してきたのです。
 本当の美とは、決して表面だけのものではないと思います。石にみられる、大自然の生命の鼓動、木目にあらわれた風雪の歴史――万物の生命感が、限りない美の泉となっているように感じられてなりません。
 女性の場合も、愛情とか、優しさとか、人生に対する、前向きの姿勢とか、その人柄のもつ折り目の正しさといったものが、奥ゆかしい美を創造していくのでしょう。
 女性が着物を着ている時、見る人はどこに一番目をつけるかというと、足袋であるということを聞きました。豪華な着物であっても、皺の寄った足袋では、その人の感覚が疑われるのだそうです。着こなしや、そうしたちょっとしたところに、目をつけるのは、日本の伝統的な美意識が、折り目の正しさといったものに、重きをおいているからなのでしょう。
 なにも、上流の貴婦人のようになれというのではありません。平凡な生活のなかにも、美をはぐくんでいく、きめの細かさは、ぜひ身につけてほしいという願いからです。一人の男性の狭い目であるかもしれません。ただ、美しさというものは――それを創造するのも、破壊するのも、その人の心にあると言いたいのです。
 文明というものが、人間から、しだいに美を奪いつつある昨今です。人間の目が、スモッグの空のように、曇っている証拠でありましょう。
 ロダンは「美は到るところにあります。美がわれわれに背くのではなくて、われわれの眼が美を認めそこなうのです」(『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波文庫)と述べていますが、味わうべき言葉だと、私は思います。
 闇鏡も磨けば明鏡となるように、わが心の鏡も、洗練していくにつれて、一切の美しさを映しだしていくにちがいありません。美とは、人の心と心をつなぐものです。地球を、本当の美しいオアシスにしていくのも“美の国”日本の役目なのかもしれません。

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