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日蓮大聖人・池田大作

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結婚と愛  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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2  よく、恋愛は美しい誤解であり、結婚は、惨めな理解であるなどと言われます。――たしかに、恋愛の時は、相手の一部分しか見えないものです。また、互いによく見せようとしておりますから、それぞれの「わがまま」は押し隠されています。ところが、結婚すると、お互いに遠慮がなくなるし、今まで見えなかった欠陥が目についてきます。そこで、今までの恋愛が誤解によって生まれたことを初めて理解し、惨めな気持ちになるというわけです。このことは、恋愛と結婚の実際をずばりと言い当てた厳しい諷刺があるように思えます。
 理想的な結婚は、かりに恋愛が“美しい誤解”であったことに気づいたとしても、互いにそれをカバーしあい、守り合っていくことによって、営まれていくものでしょう。若い二人のことですから、恋愛には、当然、誤解もあります。しかし、美しい夢は、二人でしっかりはぐくんでいくべきです。それには、やはり、地についた、正しい“眼”を失ってはならないと思うのです。
 ある意味では、冷静さが必要でしょう。愛は一つの熱情です。熱情と冷静さは矛盾しているようですが、熱情のなかに冷静さ、冷静さのなかに熱情が込められていくというのが、愛情を揺るぎないものにする基盤になるのではないでしょうか。
 だれが結婚するのでもない。ほかならぬ自分自身が結婚するのです。それには、自分のことをよく知る必要があり、相手の人のことも、さまざまな面から知っておく必要があると、私は思います。情に流されて、冷静な思慮を失えば、心に深い傷跡を残すような結果に終わらないともかぎりません。そこで、ぜひとも、交際期間というものを、大事にしてほしいのです。お互いに理解を深めるかけがえのない場、それが恋愛時代の交際であると考えたいのです。
 結婚は結婚、恋愛は恋愛と立て分けて考える人もいますが、私は、それに賛成したくありません。恋愛は、どこまでも、結婚をめざすものであるべきだと思います。結婚と切り離されてしまった恋愛は、単なる遊びでしかありませんし、互いの愛情のない結婚も、殺伐とした生活になってしまうのみでしょう。
 特に、女性にとっては、職場に生きる男性と違って、生活の場の大部分が家庭になることが多いわけですから、愛情に包まれた結婚生活であるかどうかは、大切な問題になってきます。いわば自己の青春の生命をかけた恋愛であり、結婚です。そこに虚偽があっては断じてならないと思います。結婚における虚偽は、相手に対する裏切りであるとともに、自分自身に対する裏切りであるというべきではないでしょうか。血の通った、生涯をかけた人間関係に、冷たい、醜いエゴイズムのつけいる隙を与えてはならないというのが、私の信条です。
 結婚には、恋愛結婚の場合もあるでしょうし、見合い結婚の場合もあるでしょう。もっとも、この立て分けがかならずしも正しいとも思いません。恋愛といっても、なにか知り合う契機があったからでしょうし、見合いといっても、心にかなう何ものかがあり、愛情となって開花していったからであると思います。人に紹介されたのと、自分で選んだのとの差があるといっても、結局、最終の選択は、自分で行ったのであって、それほど差異があるとはいえません。いずれにせよ、本人の意思が最も大切であることに変わりはないと思います。
3  最もよくないことは、あきらめの雰囲気、自分を見殺しにしたムードのなかに結婚していくことです。そういう場合でも、成功した例があるかもしれません。しかし、それはあまりにも他人まかせで、無責任ではないでしょうか。というより、あまりにも卑屈ではないでしょうか。結婚は、愛情によって生まれ、支えられていくものです。本当によかったと心から納得のできる結婚であって、初めて新しい人生を希望に満ちてスタートすることができるのです。
 よく、あまり高望みをしないことだなどと言います。私は、この表現は適切であると思えません。この言葉自体に、人間にレッテルを張り、商品化していくような、いやみを感ずるのです。もっとも、虚栄や見栄で結婚してはならないというのであれば、正しいといえるでしょう。自分に最も適した人を選ぶというのであれば、それは大いに「高望み」してよいのではないでしょうか。しかし、決して周囲の思惑を気にして、それを判断の基準にしてはならないのです。
 たとえば、会社の同じ仲間の女性が、みんなサラリーマンで将来性があり、すらっとしている人を求めていたとします。そこで、自分もそうでなくてはならないように思うことは誤りなのです。皆から、憧れられる人が、かならずしも自分にとっても適当な人であるとはいえません。むしろ、あまり目立たず、騒がれない人のなかに、自分に最もふさわしい、立派な人がいるものなのです。それは、男性の側にとっても同じことがいえるでしょう。レッテルや声望と結婚するのではありません。「人間」と結婚するのです。また自分も同じく「人間」なのです。問題は、誠実があるかどうか、生活態度がどうか、物の考え方がどうか、自分とピッタリ合うか、どうかが大事なのです。
 だからといって、私は、その結婚が周囲から祝福される結婚かどうかということを軽視しているのではありません。ただ、本当に祝福される結婚とは、当人同士が幸福になっていくことではないでしょうか。一番いいのは、自分も心から納得し、周囲も喜んでくれる結婚です。しかし、最後の決め手は、自分自身の心の中にあるものであると、私は思います。周囲には、努力して理解させていけばよいし、また、なによりも、二人の幸福な姿が、雄弁に、結婚の成否を物語るにちがいありません。
 さらに、そのうえに立って考えなければならないことがあります。それは、結婚は、本人同士の問題ですが、だからといって、二人で別世界に行って生活するのではないということです。家庭は、両親、親戚といった近い輪から、隣人、会社、さらにそれより広い社会というように、その輪は広がっていきます。したがって、さまざまな条件を無視して結婚が成り立つわけではないのです。生活の基盤を度外視して、感情のみで結婚に踏み切ったとしても、やがて二人の愛情そのものにもヒビが入ってくることになるでしょう。したがって両親や、先輩のよきアドバイスをうけることは、非常に大切なことです。純粋な愛情と、社会的な条件とをマッチさせていくなかに、幸福な結婚が、虚像ではなく実像となって、姿を現すのです。また、周囲の人々も、二人の純粋な愛情が、ぜひとも結実するように、温かに配慮をしてあげることが必要であると、私は訴えずにおれません。
 暗い、かげりのある結婚ではなく、愛情と理解に包まれた結婚――であるよう、二人で努力していくことが、なによりも大切であると思います。
4  結婚には、たしかにチャンスというものがあるようです。具体的にどういう時にということは言えませんが、年齢、経験、交際、周囲の状況、生活の基盤等のさまざまな要素が、一つになった時とでも言いましょうか。恋愛が自由化され、交際範囲が昔よりも広がったことは事実ですが、それでも、なかなか、結婚相手ともなると、そう簡単にみつかるものではありません。そこで、周囲の人が気づかって、いろいろ紹介してくれることになるわけですが、そうした好意も、一つのチャンスとみてよいのではないでしょうか。
 当然、チャンスは待つものではなく、みずからつくるものです。決して、人の意見のみで、左右されてはなりません。しかし、周囲の人が、いろいろと考えてくれているというのは、さまざまな条件が整いつつあることでもあるのです。この時、自分なりのはっきりした考えをもつことは、きわめて大切なことです。人の意見に従うのではなく、その意見を通して、自分として考えていくことです。もっとも、それを逃せば、絶対にチャンスはこないなどと思いつめることはないでしょう。自分の生涯に、かけがえのない問題であるだけに、慎重のうえにも慎重であるべきことは言うまでもありません。
 さらに、将来のこととして、結婚してからのことを申し上げたい。結婚生活にとって大事なことは、相手の立場になって考えるという姿勢であると思います。男性のエゴイズムと女性のエゴイズムが衝突しあう家庭は悲惨です。愛情とは、相互の理解のなかにはぐくまれていくものです。二つの心が、一つに溶け合うなかに、つねに新鮮な生命が蘇っていくにちがいありません。
 人間の精神というものは、つねに新しさを欲し、同時に調和を求めているのです。そこに人間としての特質があるといっても過言ではないでしょう。したがって、家庭生活をよりよきものとしていくためには、新しさと調和とが絶えず考慮されていく必要があります。それがないと、いつのまにか心の中に「倦怠」が忍び寄ってくるものです。五年、十年とたつうちに、大なり小なり、だれしも経験することかもしれません。それは、一つの試練であると思います。しかし、その試練を乗り越えていく賢明さがなくてはなりません。愛とは、固定したものでも、静寂なものでもない。あたかも噴水のように、人間の心の泉から、わきいずるものなのでしょう。
 特に、いかなる人間関係においてもそうですが、言葉というものは、大切な役目を果たします。夫婦生活は、長い会話であるといった哲人もいます。時には、いたわりと慰めと励ましの言葉も必要です。
 結婚生活とは、一人の男性の奏でる旋律と、一人の女性の奏でる旋律との交響楽であり、その和音を豊かなものにするために、絶えざる人間対人間の誠実な心の交流があるべきではないでしょうか。
 とにかく、結婚はスタートが重要です。もっと深く考えれば、結婚以前の交際のなかにも、すでに新しい人生の萌芽があるといえましょう。現在の人生のあり方が、一生を貫くものでもあります。
 してみれば、結婚という問題を通じて自分自身を見つめ、確かな物の見方、考え方を養うことが、幸福をつかむ要件であると、私は考えたいのです。

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