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日蓮大聖人・池田大作

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大国主義の終焉  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  理念によるということは、せんずるところ個人的な次元の問題に帰着する。国家主義全盛のもとにあっては、個人はいかにもかよわい存在と思われてきた。しかし、もはや国家主義の権威の失墜している今日、その偽りのベールの陰に隠されてきた個人の生命というものが、一切の前面に力強く躍動すべき時がきたといえよう。
 その前兆はすでに現れはじめている。たとえば、世界的に起こっている、青年を中心とする反戦、平和運動は、その一つであろう。青年たち特に学生は、反戦、平和の叫びを通じて、戦争を行う主体としての国家の権威に鋭い疑問を投げかけている。
 また、文学者や芸術家、科学者の活動も、すでに国家という狭い枠が障害でしかないことを明確に証明している。ソ連の作家の小説は、全世界に紹介され翻訳されて読まれているし、アメリカのジャズ音楽は、ソ連の若者を魅了している。世界全体が、もはや一つの文化圏となりつつあるのだ。
 たしかに、国なり民族によって、その考え方や生活様式には、複雑な差異がある。しかし、もし人間対人間として交際し、互いに知り合ってみるならば、かならず心の通じ合うものが見いだされるはずである。今日の世界的な文化交流は、この心の共鳴があればこそ実現しているのであり、文化的な交流が、さらに深く広範な心の協和音を奏でていくことも可能であろう。
 こうして国家に至上の価値を認める風潮は、しだいに過去のものとなりはじめている。今も、中年以上の世代は、国家のもつ圧力の呪縛から解かれてはいない。現代の世界は、その人々によって牛耳られている。しかし、青少年の大部分は、もはやそんな呪縛には見向きもしないようだ。あと三十年、五十年たって、彼らが一切の社会の主導権をにぎる世の中になった時、世界はどんなに大きく変わることであろうか。
 とはいうものの、人類の現状は、そのような遠い未来に希望を託して、ただ待っているわけにはいかぬことを痛烈に訴えかけている。だれよりも現在の指導者が、この事実に率直に目を開き、認め、そして従うべきであろう。恐るべき核兵器の破壊から人類を救うには、国家主義、なかんずく大国主義の偏見を、まず大国から潔く脱ぎ捨てることだ。
 時代は、新しい意味の“大国”の出現を要望している。それは、軍事力や経済力による“大国”ではなく、優れた理念と卓抜した指導力によって、世界を平和へ、地球民族としての結合へと導いていくオピニオン・リーダーである。
 あたかも、腕っぷしが強いゆえに“大将”になることができた少年時代から、頭脳と心の広さ、思いやりの深さによってリーダーが選ばれる成年時代に進んでいくのと、それは同じ道理であるからだ。

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