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日蓮大聖人・池田大作

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海洋開発の展望  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
2  昔、わが国の北海道では、ニシンが産卵のために、大群をなして押しよせてきた。それこそ労せずして、面白いほどとれたと聞く。今日では、そんな姿は絶えて見られなくなってしまった。原因は、水温や潮流など、自然界の変異も当然あろうが、なんといっても、乱獲が最大の原因ではないだろうか。
 魚類や海藻などといった生物資源は、絶えず新しい世代を生み出していくものであるから、計画的に捕獲していけば、決して涸渇することはないはずである。それには、それがどのように成育するか、また海流との関係や餌にするプランクトンなどの問題、さらに、魚なら魚自体を餌としている魚の問題等を科学的に究明する必要がある。
 いずれの世界にあっても、生物は、相互依存の微妙なバランスのうえに生命活動を営んでいるものである。それは、あたかも一つ一つの環がつながってできている鎖のようなもので、一つの環を壊すと全体が変調をきたすのである。
 かりに、人間にとって有用な生物Aを増やすために、その生物を餌としている生物Bを絶滅したとする。ところが、生物Bは生物Aだけを食べているのでなく、生物Aにとって天敵の関係にある生物Cも食べているのである。生物Bの絶滅によって生物Cが増殖し、かえって生物Aは、危機におちいってしまうことになる。
 人間はみずからの理性を過信して、人間の世界と自然の世界とを対置し、別個のものと考えがちである。だが、自然のリズムから切り離された人間の世界などというものはありえない。人間もまた、自然という大きな生命体系のなかに生活を営む、一つの環にほかならないのである。
 この“対立”の思想から“調和”の思想への転換こそ、限りない宇宙の恵みを生かしていく鍵ではあるまいか。
 生命の連環の実態が明確になれば、やがては魚類を大規模に養殖する海の牧場ができるかもしれない。――私の家の代々の生業は海苔栽培であるが、その意味では、海洋開発の先駆であったともいえそうである。残念ながら、私の少年時代まで営んできた東京湾の海苔栽培は、湾内の汚染と工業化による埋め立てで、もう昔日の面影はない。
 わが国の企業利益最優先の政策は、大気とともに周囲の海洋を急速に汚くしている。このままでは、豊かな社会の半面に、追いつめられた人々の続出は防ぐことができないだろう。まして、美しい自然との調和のなかに、初めて得ることのできる人間らしい心の安らぎは、はかない夢となるであろう。
 そうなると、こんどは公害の除去もふくめた、総合的な対策が必要となってくる。それは、単に海洋資源の分野だけの課題ではない。人間が、人間らしく生きるための絶対に大切な条件である、と私は思う。
3  一般に海洋開発という場合、最も関心を集めているのは、むしろ鉱物資源である。工業優先の現在の国策によるものであろうが、対象が静止的であり、また単純であるということも原因している。日本の近海でも、東シナ海に相当大きい海底油田のあることが確認されているし、太平洋の海底からは豊富なマンガン鉱が採掘できるとみられている。おそらくこうした鉱物資源の開発は、さほど遠くない未来に本格化するであろうと推測できる。
 ところで、各国が海洋開発にしのぎを削るようになったとき、間違いなく起こってくる問題がここにある。それは、領海、領域をどこで引くかということである。現在のところ国際法では、公海は自由と原則を決めているが、海岸から三浬を領海とする日本、アメリカ、イギリスなどがあるかと思うと、ソ連、アラブ連合は十二浬説をとっている。さらに、アルゼンチンやエクアドルなどは二百浬説を主張しているから、実際にはほとんど無法の混乱状態なのである。
 この点について私が思うのは、もし、かりに領海を明確に決定したとしても、陸上とちがって、はっきりそれと分かる目印をつくることができない。そのため知らずに領海を侵していて、紛争を呼びおこすといった事態を心配するのである。
 加えて、魚類のなかには、大洋を移動して成長していくものが少なくないから、ある領海での乱獲が、ただちに他の領域での捕獲量に痛撃を与える結果になりかねない。
 まわりくどい話になったが、海洋開発にあたって最も重要な基礎条件は、世界政府の樹立にあるといわなければならないようだ。少なくともその第一段階として、たとえば太平洋をとりかこむ国々の協力体制が必要である。
 もし、それが樹立されなければ、基礎的な研究すらおぼつかない。いわんやこれが事業化される段階では、どうしても協力体制が組織されなければならない。ちょうど、採集狩猟の時代から農業時代に入ったとき、社会もまた、原始的な部族制から国家体制に進んだように、海洋における産業の飛躍も人間社会における変革を必要とするのである。
 宇宙開発の華々しさに比べて、海洋開発は地味な仕事であろう。しかし、人間の生活に返ってくる利益の大きさは、比較にならないほど膨大である。私は、なにも宇宙開発をやめて、海洋開発に打ちこめというつもりはない。たしかに、宇宙開発は巨額の予算を食う事業だが、軍事支出に比べれば、アメリカでさえその十分の一に達しないのである。
 あえて、なにかのムダな出費を抑えることが必要だというならば、まず軍事予算を削るべきであろう。文明を破壊し、人命を損失する武器の製造を減らすことこそ、最も有益な施策ではなかろうか。
4  もう一つ言っておきたい。宇宙開発は、ムードとして、「地球は一つ」という自覚を人類の心に呼びさますことはできた。しかし、海洋開発の問題は、かならずそれぞれの国家、民族の協調によって、具体的な事実のうえに「地球は一つ」であることを証明してくれるにちがいない。
 おそらく、子供のころ海を眺めていて、この同じ水が、ロンドンやニューヨーク、リオデジャネイロやカルカッタ、ベニスなどの世界の都市につながっているのだという無量の感慨をいだいたのは、だれにでもあったはずだ。
 海は、太古より、世界の人々の心を結び合わせてきた不思議な力をもっているように思えてならない。生命の奥にある――何かに呼びかける響きが、海にはあるのであろう。
 この世界に通ずる海を、大人の偏狭な邪知で閉ざしてしまうようなことがあってはならない。
 海こそ世界を結ぶ大道であり、限りない資源を秘めた生命の宝庫であろう。生命の本源に立ち返った浄らかな人間の英知だけが、その宝を手に入れることを許されるのである。

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