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日蓮大聖人・池田大作

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都市問題への提言  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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3  最近、社会問題として、やかましく言われるようになったスモッグや騒音、河川の汚濁など、いわゆる都市公害などは、この観点からしても、なにをさしおいても解決されていかねばならぬであろう。もちろん人々が、この問題を決しておろそかにしているとは思われない。いろいろな立場から、深刻に悩んではいる。
 だが、残念なことに、公害の規制と企業の利益と、どちらを優先するかとなると、現状では、どうしても企業優先に陥ってしまうらしい。特に、この選択の主導権を握っている行政官庁が、企業に対して最も弱いということが致命的である。
 たしかに、企業は、地方自治体にとって強大なスポンサーであり、そのご機嫌をそこねると怖いことも分からぬではない。しかし、それは、あくまでも住民を個々バラバラの不統一な存在とみたときであって、もし、あらゆる住民が、一つに結束し、自分たちの生命を脅かす公害問題に対して、粘り強い闘争をつづけていくなら、どんな強大な企業といえどもかなうはずがない。
 もし、行政官庁が企業の鼻息をうかがって、あいかわらず住民の生命と健康に、背を向けていくなら、住民は、一致団結して強く強く突きあげることだ。人間生命の安全を守ることは、政治にたずさわる者の至上の使命である。それを無視することは、最も恥ずべき怠慢であり背徳だといっても、少しも過言ではなかろう。
 ――煙突に、煤煙を除去する設備をしたり、下水に流れる廃液を浄化する機構は、もとよりそれなりに金のかかることではある。しかし、毎年、少しでも見ばえをよくして商品を売るために研究を重ねているのであるから、その余力で、こうした設備をさらに改善していくことぐらいはたやすいことだと思う。素人考えのように言われるであろうが、絶対に守らねばならぬ規定にしてしまえば、いくらでも知恵はわくものである。
 工場を一軒の家庭にたとえれば、煤煙や廃液を少しも処理せず撒きちらしておくのは、便所なしで、道路に排泄しているのと同じことなのである。社会に生きる以上、企業といえども道義は守るべきである。企業だけが、特別にあらゆる横暴を野放図に許されているというのは、われわれ庶民の感覚ではどうにも納得がいかない。
 同じ原理で、こんどは都市自体も一つの生活を営む生命体である。上下水道を完備し、汚水や汚物を市の責任で処理して、河川や海などの自然を汚さぬよう心掛けることも、当然なさねばならない仕事である。これは、都市を単なる無数の市民の集合体とみるか、一つの有機的統一体とみるかの基本的理念の問題になってくる。
 ある予想によると、二十一世紀には地球上の総人口は六十億を超え、その約半数を都市人口が占めるだろうという。産業社会の進行と発展は、おそらくこの予想を現実化するにちがいない。
 二十一世紀は、都市問題の比重がますます増大こそすれ、少しも減少することはまずないだろう。都市問題について、今、抜本的なメスを加えなかったら、それこそ二十一世紀文明は、腐敗、堕落の泥沼に沈没してしまう恐れさえ多分にあろう。

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