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日蓮大聖人・池田大作

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少数精鋭主義  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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2  昔から“源濁れば流れ清からず”という名言がある。いかなる社会でも、その中心にある者の姿勢が全体に微妙に影響していくものである。中心がしっかりしていれば、隅々にまでその気風は、そのままみなぎっていく。
 昨今のわが国の実態は、中枢にある人々がみずからの姿勢を正さずに、国民大衆ばかりに、姿勢を正し団結していくことを求めているように思われてならない。
 後漢書・張綱伝の「豺狼路に当る、いずくんぞ狐狸を問わん」との一句は、まさに、今日のわが国の実態を言い当てているようだ。「豺狼」とは、最も悪質な人間をたとえている。「路に当る」とは、言うまでもなく、国家の政権の座にあるということだ。中枢がこうした悪人によって占められているときに、末端の小役人の不正は、むしろ当然のことであるとの意味であろう。
 逆に、末端にいたるまでの全体を浄化し統率していくためには、中枢を改めればよいということになる。これが、ポイントというものだ。
 一般に、現代戦争の勝敗を決めるものは物量とされている。第二次大戦での日本の敗北も、結局は物量の差であったとするのが、その代表的な例である。
 しかし、これは勝敗の要因の一部であっても、全部ではない。むしろ、人間の知恵と団結の方が、遥かに大きい比重をもっていると私は思う。現代において、それを明確に立証しているのがベトナムでの民族解放戦線であろう。事実、巨大な物量を惜しみなく投入していったアメリカの、このアジアの一角での敗退は、物量を絶対とする戦争観を、根底から揺さぶっているようだ。
 ひるがえってみると、物量より人間的要素に重点をおいた戦術の優位は、歴史上のあらゆる場面で証明されているともいえるのではないか。毛沢東の共産軍が、中国大陸において、強大な物量を誇った国民政府軍を次々と打ち破り、ついに制覇してしまったのも、歴史的な実験例である。
 孫子の兵法などに一貫してみられる戦いの原理は、少数精鋭主義であり、人間中心主義である。言い換えると、少数精鋭主義とは、東洋伝統の人間中心的な戦術思想である。これに対し、西洋の戦術の中核を占めてきたのは、兵員と物量とで敵を圧倒することであり、ここに、東洋的思惟と、西洋的発想との深い相違の断面をみることができよう。

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