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日蓮大聖人・池田大作

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現代文明と宗教  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  現代文明の姿を少しでも冷静に見直してみた人なら、この道理は明確に納得ができるにちがいない。現在という時点に限ってみても、資産あり物質的に恵まれている人が、かならずしも幸福ではないことは周知のとおりである。
 また、歴史の流れのうえに立って、たとえば三百年前の江戸時代の庶民と、現在の庶民とを比較するがよい。生活環境の便利さや物質的な条件では、今日の庶民が、幾百倍も恵まれている。だが、それだけ幸福感も百倍しているかといえば、おそらく、ほとんど違わないといっても過言ではあるまい。
 さらに、あえて言うならば、現代社会における生命軽視の風潮も、物質偏重に流された現代文明の一断面にほかならない。
 青少年の犯罪などの社会問題、利潤追求のみにあけくれて顧みられぬ公害、激増の一途の交通事故、そして最大の公的殺人である戦争等――すべて、生命軽視という、一つの同じ根に帰着する。
 生命尊重の発想、生命の尊厳を守る思潮を、この現代文明を動かしていく力強い底流として確立し、生命軽視より生命尊重への百八十度の転換をなしとげるためには――新しい思想、宗教の興隆が、実現されなければならない。また、そうした文化全体の転換をもたらすほどの、強い指導性、理念、人間の理性と感情と生命に訴えかける、力をもった宗教でなくては、存在価値はないといってもよかろう。
 まさに、アインシュタインの言うごとく「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教にも欠陥がある」のである。
 この言葉は、科学時代と言われる現代においても、また、ますます科学が発達しゆくであろうと予測される未来においても、文化の創造と建設にたずさわる人々への重要な警告であり指針でもあろう。
 人類の文明が、狂気と腐敗の泥沼から脱し、希望に満ちた光明の世界に入り――人間が、人間として、平和な生活を営んでいけるかどうかは、この力強い理念をもった、新しい思想、宗教をこの世界に興隆し、人類の手にすることができるかどうかで決まっていくであろうと、私は思っている。

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