Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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宇宙と生命
「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)
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そう考えると、生命の誕生を地球だけの問題とし、地球のみが生命の世界であり、他の天体は死の世界であるとする根拠は、どこにもなくなる。なぜなら地球を構成する物質は、この宇宙の中で、なんら特殊なものではないからである。
このことについても、最新の科学はきわめて納得のいく予測を立てている。銀河系の中でも高等な文明をもつ天体が、一万個はあるだろうという考えもある。それによると、銀河系一千億の恒星(二千億という説もある)のうち、地球と同じような冷えた惑星をもつものが、その十分の一の百億個、親の恒星から、適度の光と熱を吸収している惑星が、その二十分の一として五億個――その惑星の中で、大気があり自転によって昼夜の別があり、生命発生の可能なものが、百分の一として五百万個、このうち人類のような――高い知能をもつ生命が存在する惑星が、五百分の一として一万個というのである。
さらに、銀河系のような小宇宙が、一千億から二千億あるとすれば、広い大宇宙には、それこそ無数の――高度の文明をもつ天体があることになる。この説は、少し楽観的な計算によっているかもしれない。しかし、現代の科学者は、等しく宇宙には生命の発生と生長に都合の良い条件が、かなり広範にそなわっているのではないかと予測しているようだ。しかも、無始無終の宇宙の連続を考慮するとすれば、宇宙には、つねに生命が脈打っていると考えられそうである。
バナールは、この地上における、生命の発生を“生命の池”というもので説明したが、それとは意味が違うが、あえて、その言葉になぞらえて言えば、この宇宙は“生命の海”なのかもしれない。そして、条件さえそなわれば、いつでも生命が誕生していく可能性を、宇宙全体にたたえているのではなかろうか。
こう言ったからといって、私は、生命に超自然的な神を導入するつもりはない。生命は、神という作者による作品ではない。生命それ自体が作者であり、しかも作品なのである。仏法の説く“十方仏土観”という意義が、分かるような気がする。
生命に、本来特有の自律性、発動性は、もともと宇宙にそなわっていたものであり、宇宙を貫く“法”であると私は思う。決して、法を無視した、得体の知れぬものがあるわけでもなく、宇宙に貫きゆく“法”が、顕現され具体化された実相が、生命であると私は考えたい。
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