Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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日本人の味覚  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
4  ある口の悪い評論家が、主婦のことを、三食昼寝つきの永久就職だといったそうである。主婦を職業ということは、侮辱的だと叱られるかもしれぬ。しかし、職業と心得るぐらいの熱意と研究心をもって取り組んでいけば、夫が、他の女性のもとへ走ったり、離縁されることなどもないかもしれぬ。子供からも、本当の意味での信頼と愛情とを勝ち取ることができるのではあるまいか。
 男性の大部分が求めているものは、レストランで出すような「料理」ではない。子供のころから親しんだ野菜の煮物、魚の煮つけ、味噌汁、漬け物等々の「おふくろの味」であろう。 
 そこに、彼は「家庭」の安らぎを見いだし、活力を培うことができるのである。最近は、家庭でこの味が味わえなくなったので、そういうものを専門に扱う料理屋が増え、大繁盛をしていると聞く。
 日本人の味の伝統は、こうして急速に衰亡しはじめている。その一方で、日本の微妙な味の変化が、アメリカなどで好評を博し、求められはじめているというのも皮肉である。
 そういえば、米も近ごろは、ひどく味がおちた。古米、古古米という余剰米問題も一つの原因ではあろうが、聞くところによると、品種そのものが、農薬や機械で人手をかけず育つものにかわり、そのために味がなくなったのだという。
 野菜やトマトなどの類も、促成栽培のためか、近ごろは自然の味が薄れてしまったように思われてならない。山海の珍味をそのまま食卓に提供できるよう、今一度、考えなおす必要があるようである。
 ともあれ、長い歴史の積み重ねによって築かれてきたものも、失うのは一瞬である。しかし、ひとたび失ったものを元にもどすには、築いてきたと同じ歴史の経過が必要とされるにちがいない。
 日本人の多くは、特に中年以上の人々は、まだ、この伝統を見失ってはいないはずである。味覚を単なる食欲と同一視して、たかが食い物ぐらいのことと軽んじてはならない。そこに、かけがえのない庶民の文化の伝統があることを、われわれ日本人は、改めて考えなおしたいものである。

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