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日蓮大聖人・池田大作

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子供と遊び  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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3  だが、私は、最も重大な原因は、子供に対する大人のエゴイズムではないかと思う。子供向きのテレビや絵本やマンガも、その底流にあるものは、売れさえすればよいという商業主義にほかならない。本当に子供への愛情から出たものが、果たしてどれほどあるだろうか。
 これらは、子供を食い物にした“エコノミック・アニマル”といえるが、エゴイストはそうした商売人ばかりではない。実の親さえも、自分本位にしか子供のことを考えなくなっているように思えてならない。その典型的な例が“教育ママ”である。
 そういえば、うるさい“教育ママ”を、怪獣になぞらえて“ママゴン”という呼び名が、子供たちの間に流行った。PTAの母親仲間や隣近所のなかで、自慢したいために子供を抑えつけ、しばりつけ、勉強にレッスンに鞭うつ母親の本性は、まさに怪獣に等しい。ママゴンとは、よく言ったものだ。
 岩にさえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てたものは早く生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。伸びのびと自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに鍛えられていくことが、本人にとって、最も幸せな道ではないだろうか。
 すべてが、これから形づくられていく子供にとっては、遊びといっても単なる遊びではないし、まして時間の浪費などでは断じてない。子供同士の付き合いのなかに、人間として、欠かせない社交性を身につけ、社会への眼を開いていくのである。
 ときには、いたずらをするのも結構である。たとえ叱られたとしても、それが善悪を判断し正義というものを考える手だてになれば、かけがえのない人生経験ではあるまいか。学校でも家庭でも教えてくれない貴重な人生の学問を、子供は自然のうちに学びとり、血肉としていくにちがいない。
 しかるに、そうした機会もなく、家庭に閉じこめられ知識を詰めこむことに汲々として大きくなった子供は、どうなることだろうか。小学校から、中学、高校と進んで、大学に入り、ようやく“ママゴン”の脅威から解放される。若いのだから、自由を謳歌したいのは、当然である。ところが、貴重な人間形成の時期を逸し、善悪の判断や自制力を身につけていないがゆえに、いわゆる無軌道路線を暴走することになる。
 それが、十歳ぐらいまでの子供ならば、悪童のいたずらとして、許されもする。しかし、ハイティーンないし二十歳前後ともなれば、いたずらのつもりでやったことも、犯罪になりかねない。
 私は、昨今、青少年犯罪が増大し、悪質化したと憂えられているが、その大部分は、こうしたたわいもない出来心が仇となって、いつのまにか大きな犯罪行為になっていったものだとみている。その原因をたどっていくならば、罪は、青少年にのみあるのでは決してなく、幼少年期の大事な人間形成を、エゴイズムと怠慢によって歪めた、親や教師、そして、政治家にあることが判然とするような気がしてならない。

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