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日蓮大聖人・池田大作

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主婦の仕事  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  しばしば、戦後の日本の民主主義は、“与えられた民主主義”であるといわれる。同じことは、婦人解放の問題についてもいえよう。それは、単に理想が示されたにすぎないのであって――その理想に向かって、どれだけ進むかは、婦人一人一人の努力にかかっている。にもかかわらず、理想を見いだしただけで、あたかも、すでに現実としてとらえてしまったかのように錯覚しているのでは、永久に理想を現実化することはできまい。
 言うまでもなく、これからの婦人を、かつての封建時代のように、家庭のなかに閉じこめることはもはやできないし、また、そんな逆コースが許される道理もない。開かれた道は、いかにすれば女性たちが、その余剰の時間をより大きい目的のために、価値的に生かしていくかということであろう。
 家庭自体、すでに、閉じた社会ではありえなくなってきている。各個人が、さまざまな形で、家庭の外の社会組織に結びついている。そのためにこそ、親と子、夫と妻、兄弟等の間に、かつて、みられなかった考え方の食い違いが拡大しているのではあるまいか。
 家庭という紐帯よりも、学校の友だち、職場、組合といった有形無形の社会的な紐帯のほうが、はるかに、強力になってしまったともいえる。
 それでは、家庭というものは、単に、親子、兄弟という、血でつながった人間同士の、仮の社会にすぎないのだろうか。
 家庭が、社会の断層の縮図と化して、鋭い対立と根深い憎悪の場となってしまっている場合もないわけではない。しかし、どんなに互いに憎しみあっているにせよ、どうしても断ち切れない、最後の結合力をもっているのが、家族というものだ。
 してみれば、社会の全般にわたっている、断絶の谷間を埋める最後の望みは、この家庭にこそ、あるといっても過言ではあるまい。そして、その家庭のなかで、子供にとっては、母親であり、すでに旧世代に入っている男性にとっては妻である、一家の主婦こそ、新旧の世代の断層を埋め、つなぎあわせる絆となっていくのではあるまいか。
 物質的、あるいは肉体労働的には、たしかに主婦の責任、負担は、軽くなったと思う。しかし、こうした意味での精神的、知的な責任は、今後もますます増大していくであろうと、私は考えている。そして、主婦の占める地位の高さも、これにともなって、いよいよ向上していくにちがいない。
 さらに、付け加えていえば――社会の中でも、女性の独特の考え方や、感情といったものは、対立や混乱を収拾するのに、きわめて重要になってこよう。そのためには、育児などの煩雑な家事から、解放された女性に対し、十分に社会的進出の道が開かれる必要がある。
 とかく、感情や愛情を無視して、闘争本能と冷酷な理性で、すべてに対処しがちな男性に比べると、いわゆる女性的な行き方は、まだるっこい気がする場合がないでもない。だが、非常に、緊張した事態などにさいしては、かえって、そうしたまだるっこさが、悲劇から人類を救い、平和を守ることに役立つのではあるまいか。
 いな、そればかりではない。
 子供を育て、生命の尊さをみずからの骨身に沁みて知っている女性こそ、生命軽視の風潮の強い現代にあっては、より一層、強いリーダーシップをとって活躍していただきたいものである。

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