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日蓮大聖人・池田大作

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恋愛と結婚のあり方  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

前後
3  夫婦というものは、言うまでもなく、もともとは血のつながりも何もない赤の他人である。それが縁あって生活の苦楽を共にし、二人の血をうけた子をもうけ、人類の悠久の歴史のなかに確固たる痕跡を残していくのである。これを支えるものは、なんといっても、互いの愛情の絆であることは当然の理だ。
 恋愛が、この相互の愛情を固めるための大事な土台であることは、今さら言うまでもない。恋は盲目であり、激しく燃え上がると、身を滅ぼす危険ももはや顧みなくなっていく。みずからの心を冷静に見極めるゆとりなど、どこかに忘れてしまうのが通例であるようだ。また、そうした盲目性を、恋の純粋さのあらわれとして、ことさら賛美する風潮も特に文学の世界には強い。
 もちろん、醜い打算や駆け引きの具に恋を利用し、美しかるべき青春を濁らせてしまうようなことがあっては、残念なことだと思う。しかし、恋の盲目に終始し、人生を誤ることは、本人にとってさらに大きい不幸である。特に女性の場合は、どうしても被害も大きく、心に深い傷をのこしてしまう結果となる。
 恋を、二人だけの秘密にしたいというのも、若い女性の心理としては分からぬでもないが、それを不幸の落とし穴にしないためには、かならず、賢明な第三者に、助言を求めるようにすることが大事であろう。そして恋をしているかぎり、自己の判断には、つねに誤りを犯すおそれがつきまとっているというぐらいにまで、自分を客観視していくことだ。
 恋愛のために、周りと折り合いが悪くなり、仕事も手につかなくなって、自身がいい加減になってきたら、その恋は本物ではない。恋するがゆえに、生命が生き生きと躍動し、仕事に張り合いが感じられ、周りの人々からも、いよいよ親しまれるようになったら、その恋は、本物であると考えてまず間違いなかろう――。
 その――どちらになるかは、恋に溺れ自己を見失ってしまうか、自己を客観視しつつ恋を生かしきっていけるかによって決まる。恋愛という滑走を経て、結婚という離陸、上昇の成否が決定される。
 恋愛と結婚の激動は、長い人生行路のスタートである。行く手に、いかなる嵐や気流の乱れがあろうと、びくともしないだけの機体整備を、飛び立つ前にしっかり、二人の力でやっておくように願いたい。

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