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日蓮大聖人・池田大作

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学園紛争の意味するもの  

「私はこう思う」「私の人生観」「私の提言」(池田大作全集第18巻)

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2  日本民族は、教育に対し、古来、高い評価を与え、尊重してきた伝統をもっている。日本人の知的レベルの高さは、すでに西暦数世紀のころから、世界に誇りうるものであった。『万葉集』は、四世紀から八世紀にいたる四百余年間、天皇、貴族から農民、兵士におよぶ、あらゆる人々の作った歌を集めた歌集である。この事実は、すでに当時、文化があらゆる階層に浸透し、高度な精神世界を現出していたことを物語る。
 平安朝時代には、世界最古の小説といわれる『源氏物語』が、一女性の手によって完成されている。和歌を詠むのは社交上の必須条件であったろうし、人格評価の最大の観点は、まず教養の深さであった。この古代からの伝統は、中世、近世にもますます磨きをかけられ、武士といえども文字を読み書きすることは当然、歌を詠み、詩を即興するぐらいのことができなければ、一人前に扱われないほどであった。
 ヨーロッパにおいては、武将、騎士は、ほとんど文盲であり、学問、文化が――教会、僧侶の独占物であったことを思うと、これはまことに特筆すべき事実である。徳川三百年の鎖国のあと、明治以後のわずかな期間に、日本が第一級の工業国に成長したのは、西欧の学問を、十分に消化できる知的水準をもっていたからであろう。
 そして、近代、日本民族は、ほとんど百パーセントに近い学校教育を実現し、この一点においても、先進欧米諸国を遙かに抜いてしまった。今日、義務教育である――小中学校から高校への進学率、高校から大学への進学率でも、保守的風潮の強いヨーロッパ各国を大きく引きはなしている。
 だが、明治以後の教育には、一つの根本的な欠陥があったと、私には思われる。それは、西欧式の教育を急速に徹底するために、運営の主権が政府に握られ、やがて教育内容そのものも、政府、国家、天皇の権威を絶対化するものへと、強制的にゆがめられていったことである。これは、わが国の教育ばかりではない、世界的な教育の一般的状況でもあろう。そのよってきたる本源は、近世以後の西欧における学問、教育の考え方にあると私は思う。
3  私たちは「科学技術」という言葉を、今日ごくあたりまえのこととして使っている。それが、どういう歴史的意味をもっているか、科学と技術と、どう違うのかといったことは、ほとんど考えていない。だが、歴史をたどってみると分かるように、科学と技術との不可分なまでの結合は、近世イギリスに始まるきわめて特異な現象であり、ヨーロッパ世界が、人類史のうえに空前の位置を占めるにいたった、重要な基盤でもあったのである。
 本来、科学とは、真理を探究する純粋に知的な活動であると思う。これに対し、技術とは、物を作ったり操ったりする、労働の分野に属するといえよう。したがって、科学と技術とは、まったく別の分野の相異なる活動であって、歴史的にも別々に発展してきている。たとえば古代エジプトやオリエント文化では、素晴らしい技術の発達をみせているが、科学は誕生していない。ギリシャ人が、はじめて、これらの技術が則っている法則性の存在に気づき、不変の真理の探究を、人間の知性の崇高な使命として確立したと私はみたい。
 科学者は、技術家を卑賎なものと嘲笑し、技術家は科学者の抽象性、非現実性を非難した。“科学”と“技術”が交わることは、稀にしかなかったといってよい。たまに、相互に影響しあったとしても、ある種の変人の気まぐれか、偶然の、時の巡りあわせ以上の域を出なかったようだ。
 科学と技術を結合する意図をもって生まれた最初の公式機関が、――一六六〇年に設立されたイギリス王立学士院である。以来、科学の成果を技術化すること、そしてその技術の積みかさねのうえに、科学的研究を推進することが、他の国々でも着々とすすめられた。ヨーロッパの文明が、全世界をリードするにいたったのは、なんといっても、この科学技術に負うところ大である。 ところが、その半面、科学というものが、このために実用化という制約を受けざるをえなくなった。──純粋に、真理を追究する学問の姿勢は、政府や産業界からの有形無形の圧力によって歪んでいってしまったようだ。今日、資本主義国における学園紛争に、産学共同の問題が絡んでいるのは、ここに淵源があると私はみたい。
4  特に近代日本の学問、教育は、国を挙げての富国強兵策のもとに――天皇絶対主義の信条で強烈に統制されてきた。
 戦後、天皇の権威は、否定されたとはいえ、学問の世界内部の、前時代的体質は、ほとんど変革されないままに、今日まできているといえまいか。むしろ、教育に対する政府、権力の統制は、種々の形でしだいに強化され、戦前とそれほど隔たりがないと言われるまでになっている。
 学問、教育の実質的な自主性という問題が、いまや、厳しく問い直されている。私は、学問は、あくまでも真理を探究するものであり、教育は、次代の人間をつくる事業であるとの――基本原則を、国家、社会のなかに再確認すべき時がきていると思う。その意味において、教育に対して政府がうるさく干渉し、学問に対して政府、実業界の圧力が加えられるような機構のあり方を、根底的に改めるべきであると考える。
 もとより、学問、教育といえども、産業社会や政治経済の現実から遊離して存在するものではないだろう。だが、それは、どこまでも、学問、教育にたずさわる人々の、自主性において解決されることが望ましい。教育行政は、政治の実行機関である内閣とは関係のない、独自の機関の手にゆだねられるべきである。そして、単に教師だけではなく、生徒、学生、民間の知的指導者も、できるだけ平等に近い立場で参加できるようでなければならない。
 私は、一九六八年から九年にかけて、日本はもとより全世界にまき起こった学園紛争が、権力の圧力に屈伏してしまう道理は、まずありえないと思う。ひとたびは、鎮圧されたようにみえても、また、噴き出してくるであろうし、やがては、これらの紛争が提起した――問題に対して、解決が試みられねばならなくなるはずである。
 そのための一つの試案として、私なりの考えを示したのである。具体的に、それ以後の問題をどうするかは、政治の行政機構から切りはなして確立された、教育独自の行政機関自身で検討し、解決すべきことである。そのゆえに、あえてここでは、そこまで述べるのを避けたい。しかし、次の時代を担うにふさわしい、人間教育の実現のために、教育問題の解決は、絶対に不可欠の課題であることを、繰り返すようだが、特に強調しておきたい。

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